いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

コロナのこと

今日から明日、明後日と3連休ですね。


旦那さんが生きていたら、今頃、横でゴロゴロしてたか、


隣の部屋でテレビ見てたりしてただろうなぁと思います。



私、今も、寂しいからテレビはつけっぱなしにしているけれど、


ついこの間まで、旦那さんがテレビを見ていた椅子には、


今はだれも座っていません。





私が異動になる前だったら、


3連休なんて言ったら、家にじっとしている二人ではありませんでした。


どこかに何か食べに行く…、観に行く…、遊びに行く…なんてことに


天才的に勘が働く人だったので、


今頃は間違いなく  ”go to”  を利用して遊びに出かけていたと思います。




コロナが流行りはじめた当初、


例にもれず私も、家に菌を持ち込まないために必死になっていました。


旦那さんは心臓に持病を持っていたため、


家に菌を持ち込んだら、コロナ=死 ということをとても強く意識していました。


当時手に入らなくなり始めていたマスクは、再利用のため二人分毎日洗ったし、


液体石鹸やアルコール手拭きも探し回って買いだめをしたし、


体温計も新しく買い換えました。


手は3分間ちゃんと洗い、市から給付の消毒用アルコールは、二人で並んで給付を待ちました。


たぶん皆さんも同じでしょうけど、


私も必死でした。


旦那さんをコロナから守るために、私も必死でした。





今、守るべきものを失ってしまって、


コロナ慣れ…というか、すっかり他人ごとになってしまっています。


本来だったら、私の職場は高齢者向けの福祉施設なので、


気を付けなければならないことは重々承知ではあるのですが…。


もちろん、職場に入るときの手指消毒等やるべきことは欠かしませんが、


以前のような必死さは、今は全くありません。




コロナ禍のための“go toキャンペーン”で、この3連休も少なからず人出があると聞きますが、


正直に言って、感じるのは怒りだけです。


もちろんその怒りには、嫉妬が多くの部分を占めるのはわかっています。


だって、家族旅行? 仲良く家族で食事? 私にはもう、決してできないことだもの。




………だけど、でも、別に、いいんだ。


だってコロナにかからず長生きしたって、楽しいことは何もないもん。


ただただご飯を食べて、空気を吸って息をしているだけ。




だけど。


旦那さんが亡くなってから、


ちょっとヘンな話なのかもしれませんが、


旦那さんに守ってもらってる、という感覚があります。


だから大丈夫、というちょっとおかしな自信があります。


これは、旦那さんが亡くなる前にはなかった感覚です。


だから前より、安心しているというか、あんまり心配してないというか…。



旦那さんの死に関しては、あれだけ万に一つの奇跡があったのだから、


旦那さんは今もきっと守ってくれているに違いない、という思いが、私にはあります。

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