いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

半年経ったけど

半年が経って、いろんなことがちょっとずつ


変わってきているのだとは思うのです。


この間気が付いたのですが、


10月の半ばあたりから、以前のようにテレビを普通に録画するようになりました。


面白そうだから撮っておいて後で見よう、とか、


普通に考えるようになってきています。




以前はそういう余裕がなくって、


家に帰った時に寂しくないように視聴予約にしておくとか、


気を紛らわすためだけに、見てもいないのにテレビを付けておくとか、


なんか今一つ健康的でないというか、普通じゃなかった気がします。




だけど、気が付いたら、普通に録画して普通にテレビを楽しんでいる自分がいます。


ドキュメンタリーとかで思い出の場所などが出てくると、


発作的にまだまだ泣きじゃくってしまったりはしますが、


でも少しずつですが、日常を取り戻しつつあるような気がしています。




もう一つ、変化をあげるとすれば、


旦那さんが亡くなった…とか、死んだ…という言葉を


最近使えるようになりました。


最初のうち、「死」とか「亡」とかの字を見るのも書くのも嫌で、


なるべく使わないようにしていました。


だけど、少しずつ、この言葉にも慣れてきました。


そして、旦那さんがいない生活にも少しずつ慣れてきました。




自分でも不思議で意外ではあったのですが、


割と最初のうちから、家に帰ってくるとホッとはしていたのです。


旦那さんとの思い出が一番濃い場所のはずなのに、


彼と一緒に歩いた道や、一緒に入った店などは、見るたび涙が出てくるのに、


家だけは大丈夫で、帰ってくるとホッとするのです。


これは今もそうで、本当に不思議な気がしています。




6ヶ月で少しずつですが、日常を取り戻しつつあるのだと思います。


だけど、まだまだ苦しいです。


いきなり、ふ…と、思い出すんですよね。


何の脈絡もなく、何かの拍子に、旦那さんと一緒の場面を。


そうすると、そのたびに、


引き戻されるというか、我に返るというか、


自分が置かれている現実を思い出してしまいます。





いつになったら苦しいのが終わるのかなぁ。


でももう、旦那さんの生きていたころのように楽しく生きるのは100%無理です。


それだけはわかってるの。


死ぬまで楽にはなれないのかな。

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