手放したくない理由(2)
今日は、昨日ブログに書いたCD・MDプレイヤーの事で、
電機量販店に相談に行ってきました。
本当ならこういう時は、もしかしたら「街の小さな電気屋さん」に相談したほうがよいのかもな…なんて思いながら、
でも近くにそんな昔気質の電気屋さんもないし、
うちの近くにある二つの量販店のうち、接客サービスの良いほうの店に行ってみました。
店員さんは一生懸命調べてくれたのですけど、
結局は製造年が古すぎて、部品をそろえるのが難しいようです。
それに、今このコロナ禍の中、電機製品の部品の輸入も滞っているそうで、
メーカー(ONKYO)も修理を受け付けていないらしいです。
なので、とりあえずプレイヤーを持ったまま店から引き揚げて、
家に帰って来てから、ダメもとでONKYOに直接メールをして、返事を待ってみることにしました。
もしかしたら部品がまだ残っているとか、輸入再開のめどが立っているとか、そんな甘い期待をちょっとしています。
だけど、それでもし修理が不能なら、あきらめるしかありません。
旦那さんがせっかく取り付けてくれたスピーカーが使えなくなっちゃうよ。
そうやってまた、ひとつひとつ、旦那さんの気配が消えてゆくのだなぁと思います。
でも、「この世から居なくなる」というのは、そういうことですよね。
亡くなった人の気配は、どうしたって時間が経つごとに薄れてゆくし、
少しずつ、人々の記憶からも消えてゆくし、
友人たち同士の会話にも、いつか登場しなくなる。
死ぬというのはそういう事ですもの、しかたがありません。
だけど、それが旦那さんにも起こると思うとすっごく悲しくなるのだけど、
そんな時、私は、いずれ自分の身にも起こる事…と思うようにしています。
私もいつか死んで、無になり、皆の記憶から消える日が来る。
そう考えると、生きている人全員に平等に起こる事なんだから、
別に旦那さんだけが可哀そうなわけじゃないもの、って思えます。
そうすれば少し、肩の荷が下りたような気がして、ふと楽になります。