ちょうどよい時に、ちょうどよい分だけ。
12月になりました。
まだ日が明けたばかりだけど、今日は12月1日です。
旦那さんが倒れた日から、1年半が経ちました。
倒れてすぐに救急車で運ばれて、
その救急車の中で、私は彼と最後の言葉を交わしました。
その後すぐに救急病棟で血栓を溶かす薬の点滴を受け、
だけど、意識が戻ることはありませんでした。
今、あの時のことを思い返すと、やはり涙が止まらなくなります。
可哀そうに。可哀そうに。可哀そうに。
辛かったね。怖かったね。苦しかったね。
ごめんね。ごめんね。ごめんなさい。
だけど思い出すのは、生前彼が、事あるごとによく言っていた言葉です。
「ちょうどよい時に、ちょうどよい分だけ。」という言葉です。
つまり、足りない言葉を加えれば、
『もし何かが起こるとすれば、それが自分にとって、その出来事が起こるちょうどよい時だし、分相応な事なのだから、受け入れる。』…というのが、
生前の彼の信条のようなものでした。
多分彼が、与えられた時間の中で、様々な経験を通しての気付きだったのだと思います。
私には、そんな達観した考えは持てないけれど、
亡くなった彼のとても安らかな顔を見た時に、
多分、彼は彼なりに、自分の死を納得して受け入れたのだと思いました。
それが、せめてもの慰めというか。
だから、私のこの1年半も、だいぶ救われたのだと思います。