いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

1年半経っての悲しみとは

1年半経ちました。


今朝、目を覚まして、あぁと思った。


1年半って、こんな感じなのか。





「置かれた場所で咲きなさい」という本があったけれど、


私は、今現在置かれている場所にはまったく馴染んでいません。


以前の環境と、現在置かれている場所を、いつも比べて悲しんでいます。


昔はよかったなぁ、楽しかったなぁ…と、旦那さんが生きていた頃の事ばかり惜しんでいます。




だけど、1年半前ほどは泣きません。


でもこれは、「悲しくなくなった」という事では断じてないです。


悲しむためのエネルギーが前ほど残っていない…というか、


悲しいことに慣れてしまった…というか。


悲しみを涙に替えるエネルギーって結構相当なものだと思うのだけど、


1年半前は、いくらでもそのエネルギーがあったのに、


今は、すっかり枯れてしまいました。




悲しみ自体も、よどんでしまっています。


よどんでしまって、ちっとも刺激的な悲しみではない代わりに、


底に沈んで固まってしまって、容易に取り除けるものではありません。






本当に、生命力が枯れちゃった感じで、ただただ息をしています。


いつまで、こんな悲しみの中で過ごさなければならないのでしょうか。


ターニングポイントって、私の人生にも来るのでしょうか。


でも、旦那さんは写真の中でいつも微笑んでいて、


指で「グゥッ」ってしていて、私を励ましてくれています。


旦那さんがついてるんだから、いつかきっと、どうにかなるんだと信じてみようと思います。

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