1年半経っての悲しみとは
1年半経ちました。
今朝、目を覚まして、あぁと思った。
1年半って、こんな感じなのか。
「置かれた場所で咲きなさい」という本があったけれど、
私は、今現在置かれている場所にはまったく馴染んでいません。
以前の環境と、現在置かれている場所を、いつも比べて悲しんでいます。
昔はよかったなぁ、楽しかったなぁ…と、旦那さんが生きていた頃の事ばかり惜しんでいます。
だけど、1年半前ほどは泣きません。
でもこれは、「悲しくなくなった」という事では断じてないです。
悲しむためのエネルギーが前ほど残っていない…というか、
悲しいことに慣れてしまった…というか。
悲しみを涙に替えるエネルギーって結構相当なものだと思うのだけど、
1年半前は、いくらでもそのエネルギーがあったのに、
今は、すっかり枯れてしまいました。
悲しみ自体も、よどんでしまっています。
よどんでしまって、ちっとも刺激的な悲しみではない代わりに、
底に沈んで固まってしまって、容易に取り除けるものではありません。
本当に、生命力が枯れちゃった感じで、ただただ息をしています。
いつまで、こんな悲しみの中で過ごさなければならないのでしょうか。
ターニングポイントって、私の人生にも来るのでしょうか。
でも、旦那さんは写真の中でいつも微笑んでいて、
指で「グゥッ」ってしていて、私を励ましてくれています。
旦那さんがついてるんだから、いつかきっと、どうにかなるんだと信じてみようと思います。