ひとつ歳を取り思うこと
誕生日には、毎年同じことを考えます。
誕生日の24時間のうちの、どのタイミングで歳を取るんだろうって。
誕生日になったばかりの午前1時ごろは、まだ××歳かな。
誕生日の正午を過ぎたから、〇〇歳になったのかな。
誕生日も夕方になったから、もう完全に〇〇歳だよね。などと。
誕生日は昨日だったから、今日はもう完璧に〇〇歳になりました。
あぁ、新しい1年の始まりです。
今までの1年がそうだったように、
これからの1年も、まるっきり旦那さんのいない1年です。
変わり映えのない単調な1年。
喜びも、楽しさも、感動も、怒りさえ、何もない単調な1年です。
ただただ食うために仕事をする。
毎日毎日同じことを単調にこなす仕事です。
パソコンと電卓と電話があって、それらに向かううちに8時間が過ぎる。
そんなの、生きる意味。あるのかしら。
何のために生きてるのかしら……なんて、
まるで中学生か高校生みたいなことを考えてしまいます。
旦那さんが生きていたら、そんなこと考えもしなかったのに。
生きてることそれ自体が、喜びで、嬉しさだった。
毎日毎日、今日はどんな一日なるんだろうって、
それがたとえ愛する人でなかったとしても、
人間がふたり以上入れば、いろんなことが起こり得ます。
愛する旦那さんだから、ワクワク感は100倍でした。
だけど、ひとりだから。
会社には人間が居るけど、基本、私はひとりだから。
何も起こらない単調な一日が、また始まります。
今日は何が起こるのだろう…なんて、考えもしなくなりました。
ワクワク感、ゼロの1年が始まりました。