いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

今までどうもありがとね。

旦那さんの使っていたブルーのお皿を欠いてしまいました。


ピンクとブルーの対のお皿で、


おかずを二つのお皿に盛る時は、ブルーのほうを必ず旦那さんの前に置いたものです。




使う人のいなくなったお皿には、この間、


ぶどう…シャイン・マスカットを一房、盛りました。


でも流石に、シャイン・マスカットを一回で食べるのはもったいなくて、


何回か(?)に分けて食べるために、


お皿に入れたまま、ラップで包んで冷蔵庫に入ってました。


そしたら、別のお皿か何かにぶつかって、いつの間にか欠けちゃったみたいなのです。


欠けたのに気がついたときは、


「んんんんん~~~~。」と唸ってしまいました。





写真ではあまり目立たないけど、


ふちのところが欠けてしまってて、


もしこのまま使ってたら、使っているうちに指にケガをしてしまいそうです。


旦那さん用のお皿だし、


対のピンクのお皿もあることだし、


悔しいし寂しいけれど、お払い箱にするしかなさそうです。






以前、旦那さんが亡くなってまだ間もないころ、


彼が気に入って使っていた笠間焼のコーヒーカップを欠いてしまったことがありました。


もう、それを使う人はこの世に居ないわけだけど、


旦那さんはそれをほんとに気に入って、大事にしていたものだったので、


それはそれは申し訳なくて、悲しくて、どうしようもない気持ちになりました。


欠いたカップをお払い箱なんてとんでもない話で、


でも視野には入れたくない…という気持ちから、


新聞紙に包んで、シンクの下のスペースに突っ込んで、そのまんまになってます。





今度欠いてしまったお皿は、実は何かの景品で、対で送られてきたものでした。


よく使ったものではあったけど、カップほどの思い入れはないお皿です。


なので、寂しいけれど廃棄することにして、


「今までありがとね」とお礼を言って新聞紙にくるみ、


うちの地区は、瀬戸物などのゴミは、専用ゴミ袋に入れて、決められた日に出す式で、


専用袋が有料なので、ある程度溜めるため(笑)、


ベランダの保管用の箱に入れました。






何かを捨てる時、


「今までありがとね」と、捨てる物にお礼を言うようになったのは、


旦那さんが亡くなってしばらくしてからです。




旦那さんが亡くなってから、心境に変化があったらしいのですね。


今まで使っていたものとか、旦那さんに供えたお花が枯れた時とか、


捨ててしまうことに小さな抵抗感があるというか、寂しい気持ちになるのです。


旦那さんが亡くなって、存在しなくなってしまった寂しさが、


大きく影響してるんだと思います。


だから、「今までありがとね」と、お別れを言いたい気持ちになるんだと思います。





昨日は月命日で、


あの人が旅立ってから、2年半が経ちました。


本当に早いものです。


2年半前は初夏だったけど、


あの日から、すべてが変わってしまいました。


私は、「あの人が居ない」ことを受け入れて、


「あの人が居ない」この世で生きていくしかありませんでした。




2年半で、いろんなことを知りました。


あの人がやってくれてた家事雑事、


…例えば灯油の買い方とかも、やったことなかったから初めて知ったし、


趣味の会の取り纏めから会場取りの交渉まで、


やったことないことを、いろいろ初めてやりました。


だからこの歳にして恥ずかしいけど、


処世術含めて、ちょっと大人になった気がしてます。


本当にいろんな意味で、


あの人には感謝。ありがたい気持ちしかありません。

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