今までどうもありがとね。
旦那さんの使っていたブルーのお皿を欠いてしまいました。
ピンクとブルーの対のお皿で、
おかずを二つのお皿に盛る時は、ブルーのほうを必ず旦那さんの前に置いたものです。
使う人のいなくなったお皿には、この間、
ぶどう…シャイン・マスカットを一房、盛りました。
でも流石に、シャイン・マスカットを一回で食べるのはもったいなくて、
何回か(?)に分けて食べるために、
お皿に入れたまま、ラップで包んで冷蔵庫に入ってました。
そしたら、別のお皿か何かにぶつかって、いつの間にか欠けちゃったみたいなのです。
欠けたのに気がついたときは、
「んんんんん~~~~。」と唸ってしまいました。
写真ではあまり目立たないけど、
ふちのところが欠けてしまってて、
もしこのまま使ってたら、使っているうちに指にケガをしてしまいそうです。
旦那さん用のお皿だし、
対のピンクのお皿もあることだし、
悔しいし寂しいけれど、お払い箱にするしかなさそうです。
以前、旦那さんが亡くなってまだ間もないころ、
彼が気に入って使っていた笠間焼のコーヒーカップを欠いてしまったことがありました。
もう、それを使う人はこの世に居ないわけだけど、
旦那さんはそれをほんとに気に入って、大事にしていたものだったので、
それはそれは申し訳なくて、悲しくて、どうしようもない気持ちになりました。
欠いたカップをお払い箱なんてとんでもない話で、
でも視野には入れたくない…という気持ちから、
新聞紙に包んで、シンクの下のスペースに突っ込んで、そのまんまになってます。
今度欠いてしまったお皿は、実は何かの景品で、対で送られてきたものでした。
よく使ったものではあったけど、カップほどの思い入れはないお皿です。
なので、寂しいけれど廃棄することにして、
「今までありがとね」とお礼を言って新聞紙にくるみ、
うちの地区は、瀬戸物などのゴミは、専用ゴミ袋に入れて、決められた日に出す式で、
専用袋が有料なので、ある程度溜めるため(笑)、
ベランダの保管用の箱に入れました。
何かを捨てる時、
「今までありがとね」と、捨てる物にお礼を言うようになったのは、
旦那さんが亡くなってしばらくしてからです。
旦那さんが亡くなってから、心境に変化があったらしいのですね。
今まで使っていたものとか、旦那さんに供えたお花が枯れた時とか、
捨ててしまうことに小さな抵抗感があるというか、寂しい気持ちになるのです。
旦那さんが亡くなって、存在しなくなってしまった寂しさが、
大きく影響してるんだと思います。
だから、「今までありがとね」と、お別れを言いたい気持ちになるんだと思います。
昨日は月命日で、
あの人が旅立ってから、2年半が経ちました。
本当に早いものです。
2年半前は初夏だったけど、
あの日から、すべてが変わってしまいました。
私は、「あの人が居ない」ことを受け入れて、
「あの人が居ない」この世で生きていくしかありませんでした。
2年半で、いろんなことを知りました。
あの人がやってくれてた家事雑事、
…例えば灯油の買い方とかも、やったことなかったから初めて知ったし、
趣味の会の取り纏めから会場取りの交渉まで、
やったことないことを、いろいろ初めてやりました。
だからこの歳にして恥ずかしいけど、
処世術含めて、ちょっと大人になった気がしてます。
本当にいろんな意味で、
あの人には感謝。ありがたい気持ちしかありません。