いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

あれから1年

ねことねずみ

あれから1年経ちました。


あれからって、いつから?


私が職場で足を骨折して、やむなく入院したあの日から…です。




旦那さんの命日から、ちょうどひと月経った昨年の7月3日。


職場はもう定時を過ぎていて、一旦帰りかけたんだけど、やり忘れたことに気が付いて一度戻ってきて。


急いで仕事を済ませようとして、倉庫に入り込んだ時に足元を這うコードに片足を取られて、ドタッと転んでしまいました。



ああいう時って不思議なもので、


「ボキッ」と骨の折れる割と大きな音が聞こえたような気がしたし、その瞬間に「あぁ~~、やっちまった。」と分かるんですよね。


ひとりの職員が驚いて駆け寄って来て、「大丈夫?立てる?」と聞いてくれて、


私は特に、足を試しに動かすでもなく、


「無理みたい。」と即答しました。






担架が運ばれてきて、救急隊員さんの質問にいくつか答えて、


私の場合は意識もあったので、


「近くの病院がどこも満床で、これからもう少し範囲を広げて探しますが、北がいいですか?南がいいですか?」なんて聞かれました。


実家は北方面にあり、年老いた両親が居るだけですが、ああいう時は藁をもつかむ気持ちになるもので、小さな声で「北に行ってください」と頼みました。


その後、救急車に乗った状態で、まず中規模の病院に運ばれたのですが、夜間のため大きな手術はできません…と断られてしまって、


結局は実家のある中核市の医療センターに運ばれたのでした。




その時点で確か9時を回っており、病棟はもう消灯時間を過ぎていました。


救急隊員さんが現場に来てから、運ぶ医療機関を見つけるまでが長かった気がします。


一つ一つの医療機関に問い合わせて、受け入れてくれる病院を見つけるまでが相当掛かりました。


だから、意識のある私は、自分が置かれた立場を顧みるでもなく、


ただただ痛みで頭がぼんやりしながら、「救急車の意味、ねーじゃん」なんてうそぶいておりました。




救急病棟から4人部屋の病室に運ばれて、


とりあえず次の日の手術は無理だが、おそらく数日後に手術ができることが決まり、


それまでは痛み止めの点滴を打ちながら、手術を待つことになりました。



その頃になってやっと、


自分が置かれている状況とか、いつ家に帰れるかもわからなければ、仕事にどれだけ穴をあけるかもわからない、どれだけ不安定な立ち位置に居るかが、少しずつ少しずつわかってきました。


ああ、やばいぞ、この状況。
入院期間、入院費用、どれだけ掛かるの?

それより何より、私はまた歩けるようになるのだろうか?


ともかくいろんなことが把握できるまで、痛み止めを打ちながら、まず今は、骨の痛みに耐えるしかない。


父も母も歳を取りすぎていて、近くだから見舞いに来て、と、気軽にお願いできるような状況にもありません。


親戚はみな他県に居るし、実家のあるその土地に気軽に来てと頼める友人は無し、


八方ふさがりで、どうにか一人で切り抜けるしか他に方法がない事に、うすぼんやりとだけど、気が付いていました。

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