いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

大人の女

仕事、ケアレスミス、2回ほど。


えー、そんなミスやっちゃうの?…というようなケアレスです。


疲れてんだなぁ…と思いました。


ここんとこ、吹っ飛ばしすぎ。


あの病院を退院してから、この5ヶ月間。  突っ走りすぎました。




恋をしているから疲れも感じず、


いつもテンション高めで突っ走ってきました。


だから、やるべきこと、やらなければならないこと、やりたいこと、興味のあること、ひっくるめて全部、この5ヶ月間でやってきた。


行きたいなと思うところがあれば、後先考えずに全部行っちゃったし、


ブログを書くことにも、2月に手伝った会議起こしにも、


次の日の寝不足など全然気にせず全力疾走してきました。


テンション高いから全部できたし、全部結果を喜べたんですね。


だけどここに来て、どっと疲れが。






ここに来て…というより、すでにちょこちょこ支障は出てたんですよ。


クルマこすったのもその一例。


疲れや集中力の欠如が、あのテの不注意って影響しますよね。


私、何年か前にクルマこすったときも、今回とまるきり同じ状況でした。


原因……疲れ。


その他の失敗も、注意力散漫と疲れによる集中力のなさが、かなり影響した結果だと思います。


……、いくらおっちょこちょいだって、いつもは私、こんなに失敗しないもん。






さて。近況について愚痴を言ったところで、


実は今日で1ヶ月経ちました。


いつから…って、この間、会いに行って、コンサート見に行って、クルマこすった日からだよ。




今にして思ったら、


最後に会いに行って、本当に良かったと思ってます。


あの日があったから、やっと諦めがつけられた。


12月に会ったのを最後にしてたら、諦めるのにもっと相当の時間が掛かってたかもしれません。



前にも書いたけど、


先月会いに行ったにはもう、


彼は、相手に隙をまったく見せない態度に戻っちゃってたんですね。


以前と全然態度が変わってしまっていました。


ちょっと緊張した顔つきをしてたしね。


それに、髪型も以前のスポーツ刈りに戻ってて、最初に会った時の印象と同じくガキンチョに戻っちゃった感じがした。




だから、ふと思い出すと、


髪が長めでウェービィなイケメンがはにかみながら笑ってる…のではないから、


私としたら、若干諦めがつけやすい…というか、笑。


(私、オトコは見た目から入るタイプなんです。)


それに、「髪、長いほうがカッコよかったのにぃ」という私に向かって、不愛想にぎこちない感じで、


「いや、オレはこのほうが楽でよいから」とシャットアウトする感じも、拒否られ感が強くて、諦める助けになりました。




つまり本当に、あの日は未来の自分が方向転換するために、


遠路はるばる会いに行った感じがするのです。


そうしてその後、1ヶ月かけて、なんとか自分の気持ちをコントロールする方向に向けました。





愛してますよ、今でも。


好きだけど、仕様がない。


それが大人ってものでしょ。




後ろを振り返らない潔さ…って、


大人の女に似合いだよね。




寂しいけれど、これが現実。

忘却

気が付くと、もうすぐ旦那さんが亡くなって4年になります。


まぁ、あとひと月とちょっとありますけど。




そしてそろそろ、ぼんやりし始めてるのね。 


いろんなことの記憶が。





今日、久しぶりで『丸美屋の麻婆豆腐の素』を使って麻婆豆腐を作ったのです。


作ったといっても、”素” に豆腐入れるだけだよ笑。


だけど簡単な工夫が一つあって、我が家はニラを入れるんです。刻んだニラ。


それが、旦那さんの大好物だったんです。


(だからちゃんと写真の前にも供えたよ。)




実はこれは、別の彼氏からの伝授なんですよね。 


え?別の彼氏??


うん。 旦那さんと知り合うずっと前の、まだ学生だった頃の彼氏です。


その人が割と料理好きな人でさ、


『麻婆豆腐は丸美屋の辛口に限る。ニラ1束を炒めてそこにソースを作り、煮立ったら豆腐を加える』のだそうで、


だから私は、自分で作る麻婆豆腐は絶対、今でも丸美屋の辛口を使ってます。


ずっと、律儀にその後何十年間も。


(麻婆豆腐の素なんか買ってこないで自分で作れっつーの。)





必ず豆腐と一緒にニラも一束買って来て、


旦那さんにもよく作って、食べてもらってたんだけど、


そういえば、これが本当に旦那さんの好物だったのかどうか、


記憶が薄れて、ぼんやりとしかわからなくなっちゃいました。



「あれ?確か、好きだからまた作って…なんて言われてた記憶もあるんだけど、


そういえば、最後のほうはあんまり作ってなかったよな。


本当に好物だったのかしら? それとも私の記憶違い?」なんて、


2人で過ごした時間が、だんだんあやふやになってきています。





それともうひとつ、時々あれ?と思うのが、


「これ買ったの、旦那さんが亡くなる前だったかしら? 後だったかしら?」という問題。


例えば、家の小物とか、私の洋服とか、です。


あの人が見て知ってるものなのか、亡くなった後に買った物だから知らないものなのか。




亡くなって3年目くらいまでは、そういうの、しっかり覚えてたんですよね。


「いや、これは旦那さんが知らない(私の)洋服だ。」とかね。


「これはあの時買ったから、旦那さんが知ってるお皿だ」とか。


そういうことって、当時はかなりしっかり覚えていて、


そういう記憶はずっと続くものだと思ってたのに。




だけど、そういうのも、あやふやになってきたんです。


私の老化現象?も絶対あるけど、


つまり、それだけ時間が経ってしまったという事なんだと思います。




これからも、


時間と共に、


年齢と共に、


私は旦那さんに関するいろいろなことを、忘れていくんだと思います。


なんか、それってすごく寂しい。


悲しい現実です。

夢物語 yume-monogatari

「夢物語、だったんだなぁ」と思いました。


だから先週、主治医に「紹介状、書こうか?」と言われて断ったんだと、


自分で合点がいきました。


夢物語が終わっちゃうのが嫌だったのです。






要は、


受傷時からリハ病院を退院するまでの間、


ふわふわした夢物語を私は紡いでいたのですね。


すっかり現実離れした夢物語を。





だから、急性期病院への通院が無くなることで、すっかり100%現実に引き戻されてしまうのが嫌だったんです。


いつまでも、いつまでも、現実に戻りたくなかったの。


ずっと夢の中に居たかったんです。恋というおもちゃで遊びながら。





確かに現実離れしていました。


私は患者さんなので、病院ではその組織に社会参加はしていませんものね。


病院での社会って、つまり頂点に院長、副院長が居て、その下に部長クラスの医者が居て…て、


そしてその、どちらかといえば真ん中ぐらい?にリハビリの先生とかが居るんでしょ?


でも。その図式の中に、患者さんは入っていませんよね。介護施設の利用者さんと同じような立場です。


つまり、患者さんってすごく気楽で、組織とか立場とかそんなめんどくさいこと考えなくてよいんですよ。


だから私も二つの病院とも、自分のそのまんまが出せたんだと思います。




だから楽しかったよ。


めっちゃ天国でした。


ナースと喋っているときも、リハビリ室で施術を受けているときも、いっつも笑ってばっかりいましたもの。


「楽しい人ですねぇ」とか「人間力がある」なんて最高級の誉め言葉を戴いたこともありました。




だけど、そろそろ夢物語も最終章です。


目を覚まして現実に戻らなければなりません。


歳が我が子ほど離れた、現実離れした浮世の恋も終焉です。


(できるかなぁ。)