ちょうど台風の日になりました。
6月3日、命日が。
だから、旦那さんを忍んで毎年遠方から来てくれる友人2名が、
来ませんでした。
地元の私たちは集まって彼を忍んだけど、
何か心に引っかかった。
もちろん、当日ふたりからのラインに、「こんな嵐がひどくちゃ、あの人だってきっと『来るな』と言うよ」と返信したけれど、
本心、寂しかったです。
これが6年ということなんだな、と思った。
もしこれが、例えば2年とか3年とかなら、あの人達はいくら悪天候だと言っても来てくれたはずなのに、と思った。
でも彼らふたりで話したんだって。
「俺たちが台風のなか来るのを、故人は望まないよな」って。
いいえ、でもあの人は、来てほしかったはずだわよ。
1年に一度なんだから、嵐のなか自分のために来てくれて、懐かしく忍んで欲しかったと思うわよ。
皆が密かに心に抱くエゴイズムって、許されるものもあるわよね。
責めるわけじゃない、
私自身、自分自身も環境も、確実に違ってきているから。
仕方がないんだと思います。
それが月日というもので。
でも、腑に落ちないし、心底淋しかったです。
6年経って、初めて「忘れ去られる恐怖」というのを感じました。