知らされる事実
今日も父に会ってきました。
しかし今日は若干、表情が違っていた。
昨日までのニコニコ笑顔があまり見られませんでした。
ハッとしました。
しかしそれは、
昨日私が恐れた「何者かへの感謝」を忘れた…というよりはむしろ、
現実に気が付き始めた表情、に見えました。
自分が今、どういう状況なのか。
Q.ここはどこ?
A.ICU。 正確にはE-ICU。 つまりEmergency ICU、エマージェンシー、です。
Q.自分の状態は?
A.脳梗塞。 かなり重篤。
明日から平日のプログラムで、父ヘのリハビリテーションが始まりますが、
そこで初めて「嚥下機能低下の有無…物が安全に呑み込める状態か?」を調べるとのこと。
要するに、今後安全に水を飲むことや食事を口から取ることが可能かどうかの見極めも行われるらしいです。
今の医療は、そういう事を、医者が患者の目の前で家族に喋っちゃうのですね。
実際に、がん宣告や具体的な余命なども知らせる時代ですから、ある程度はやむを得ないのでしょうけれど、
それにしても、少しむごいのではないでしょうか。
自分がもしかすると、今後一生、ものを口から食べることができないかもしれないという事実を。
水分や飲料を、二度と口から摂取できないかもしれないという事実を。
本人が好むと好まざるとにかかわらず、目の前で宣告してしまうというのは、
ある意味、かなり残酷なことなのではないでしょうか。
飲食の楽しみって、人間に与えられたかなり基本的な快感であり、充足感ですよね。
父は、自分に起きた現実を、どう受け止めどう昇華するのでしょうか。
しかも父は、
実際に、数年前まで医療現場で働いていた人間です。
実際にそういう症状を診てきた側の人間です。
それは今回掛かった病院のお医者さん達も当然わかっています。
にも拘らず。
デリカシーの「デ」の字もない行為と捉えるのは、私だけ?
それが今の流行りなのかもしれないけど、(くだらねぇな。)(自分たちは何も考えず、民主主義の流行ばっかりを追いかけて。)
やられる側の立場にも立ってみろ。
クソッタレ。