今もう日付は変わっています。
子供のころから宵っ張りの私なので、もともと休みの前の日などはよく、日付が変わってからブログ書いたりしてるんですが…。
今日あたりは、2階のお兄さん(もとい、おじさん)(私より年齢は若い独身者ですが、年齢的にはしっかりおじさんだわねぇ、あのひとも。)が、
今もう夜中の1時過ぎだけど、2階から、ドンドンドン…と足音が聞こえてきました。
いつもだったら明日のために皆もう寝ている時間だし、そうそうそんな音、聞こえてくるほどのボロアパートじゃないんですけどね。
連休中だから、少し気が緩んでるのかもしれなくて、
なんとなく、みんな休みを楽しんでるんだなぁ…なんて、私も気持ちがワクワクしてきます。
今日、日中買い物に出た帰り、横断歩道のところで歩行者に道を譲っていたら。
譲った歩行者、お爺ちゃんが少しヨロヨロしながらゆっくりゆっくり、横断歩道を渡ってゆきました。
勤務先が老人ホームから、在宅介護の事務所に変わってから、
私自身がご老人を目にする機会はめっきり減っています。
ふだん職場と家、時々スーパーに立ち寄るくらいの生活なので、
そんな生活だと、後期高齢者の姿ってそうそう見かけません。
たぶん70代後半か80歳代のその方が、
老人特有の腰をかばう歩き方をなさっているのをしばらくぶりで見て、
ふと、「あのお爺ちゃんだって、しばらく前…若い頃はあんな歩き方じゃなかっただろうになぁ」なんて思ったのです。
時間って流れるんだなぁ、となんだか最近とても強く感じています。
だから、知らないお爺さんの姿を見ただけで、そんなセンチメンタル(?)なことを考えてしまうのです。
たとえば30年前なら、彼もまだバリバリのサラリーマンでスーツが似合ったんじゃないかしら、とか、
その頃だったらもっと、さっそうと肩で風を切って(?)歩いていたに違いない、とか、
「じゃあ、そんな彼が定年を迎えて、明日っからもう職場に行かなくていいってなったとき、彼は何を思ったんだろう?」とかね。
自分自身が今、ちょうどある意味、人生のターニングポイントを迎えようとしていて、
少~し不安定になっているからなんだと思います。
自分の1年後(満60歳)、6年後(満65歳)がなかなかイメージできなくって。
ところで、全然別の話になるんですが、
うちの職場の入浴介護をやってる人…看護師さんなんですが、
先日、事務員である私のところに来て、
彼女の夫が病気で倒れて、休職するための書類を入院先の病院に頼んだらよいのか、それとも夫の職場に頼んだらよいのか、を聞いてきたのです。
私は、彼女の質問についてはまず職場で聞いてみることをお勧めしたのでしたが、旦那さんは先日、心筋梗塞で倒れたのだそうです。
「ああ…、おんなじだ」と思いました。
うちは脳梗塞だったけど、でも、うちの旦那さんはもともと心臓にリスクがあって、心臓から脳に血栓が飛んだことによる脳梗塞でした。
だからきっと、たぶん状況は酷似しています。
でもとりあえずは今、彼女の旦那さんは入院をしていて、今の時点で生死の境を…というものでもないらしい。
ただし、例えばマヒが残って半身不随になったり、高次脳機能障害になったり…と、生き残ったから即ラッキーとは言えないのがこの病気で…。
今日のテーマ、
「他人の不幸は蜜の味…🎵」とは、先人もうまいこと、皮肉(イカした皮肉?)を言ったもんです。
あえて今日のテーマにしたのは、上述の看護師さんのことがあったから、です。
結論から言えば、私、今回の事では他人の不幸を喜ばずに済みました。
たぶん、もう少し前だったら私、
ご家族が脳梗塞・心筋梗塞になった職員が居たら、内心、喜んだと思います。
もちろん人には絶対そんなこと言いませんけどね。
だけど、「こんなに辛いのって、私だけじゃないんだ!」という感情が湧いて来たんだと思うんです。
「あたしだけじゃないもんね~~、ふふふ、やったぜ!」ってね。
だけど、今回、そういう気持ちは湧かなかった。
スレスレセーフで、私自身が旦那さんの死を、「過去の事」にできていたからなんだと思います。
それには、例えば昨年の2度の恋愛や、4ヶ月半の入院で自分の家(旦那さんとの生活の舞台)から離れられたこと、などが色濃く影響しているのでしょうが、
本当にスレスレセーフで、職場の同僚の不幸を喜ぶことをせずに済みました。。。
そして彼女には、「辛いですねぇ。だけど頑張って。」とエールを送ることができました。
なんだかちょっと、自分への評価(自己評価)がアップした感じがしています。
そしてもうひとつ、
人生の転機って、やっぱり皆平等に起こるんだなぁ、ということ。
なんとなく、悪いことがいろいろ起こるのは私だけで、
皆はそれなりに幸せに、人生を楽しく生きてるんだなぁ…なんて思ってたから。
なんかそういう意味で、今回のイベントは私にとって、とても大きな意味を持つものになりそうです。
やっぱり、人間って平等にできてるんだね。
神様が、そうお創りになったということか。