いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

恋愛感情(1)

今日はほとんど、何を書こうか考えてません。


とりあえず、↑  テーマだけ書きました。


自分の気持ちを知りたくって。整理したくって。





自分が本当はどうしたいのか、


もし相手があるなら、相手にはどうあって欲しいのか、


自分の将来像はどうあれば満足なのか。


これから、私はどう生きていきたいのか。





彼とのことを含め、自分がこれから生きていくにあたって、


残された時間をどう歩みたいと思っているのか、


たぶん、旦那さんと出会う前から、ずっとずっと避けてきた問題が、


今回の一連のことには関係しているような気がします。


かなり壮大な(?)テーマですが、


書いているうちに気付くってよくあることだから、


よくわかんないけど、


とりあえずつらつらと書き連ねてみようと思っています。








昨年の夏、足を骨折して以来、私は二つの恋をしました。


1人めは、急性期病院の理学療法士。


そして2人めは、回復期リハビリテーション病院の作業療法士。


どちらも私より年下で、そして、どちらもイケメンさんでした。笑。



足を折って、かなりしばらくぶりで入院という経験をして、


それまでとはまったく違う、環境と人間関係で、


ある意味私はたぶん、解放されたんだと思うのね。


つまり、職場やその他、私が参加する、とある団体でも、


どちらも結局は、私の技量は試され続けているわけで、


先輩や上司が居たり、後輩がいたり。


その合間で、ある意味、私はいつも緊張状態にはあったわけです。




でも、私が足を折ってやむなく飛び込んだ環境は、そういう関係性がまったくない社会。


入院先の病院では、私は外から一時的に来た患者で、ただのお客さんです。


私の能力とか技量とか内面性とか、そんなものはほぼ意味のない社会だし、


そして、退院と同時にその関係性はバッサリ切れるから、言ってみれば私は、あと腐れのない自由人。


それが私に与えられた、あの環境だったわけです。






足を折って入院する前までは、良い意味でも悪い意味(?)でも、


私は「寡婦」でした。


職場やその他の環境で、私は(籍は入れていないまでも)連れ合いを亡くした女。


私自身も悲しみの時期は長く続いたし、


周りもきっと、可哀そうな…、気の毒な…、腫れ物を扱うように、私には気を使ってくれていたんだと思うのです。


そして、良い意味でも悪い意味でも、それは私に付きまとった。





そんな時期が3年弱続いた後に、私も自分の変化に気が付いていました。


悲しみが、前のようではないんですよね。


それまでは旦那さんの死は、現在にすぐ続いている過去、だったのに、


そろそろもう彼の死は、現在からだいぶ離れた過去…という位置づけになってしまってきていた。


だからあの人と過ごした日々は、私にとってすっかり現実味を帯びないものになってしまいつつありました。


そして、足を折って入院した先では、そういった私の過去を知る人はたった一人もいませんでした。




悲しみの大きさが少しずつ以前のようでなくなってきて、


その代わりに私の心を占めたのは、寂しさだったんだと思うのです。


前にも一度書いたことがあったと思うのですが、


もともとの私にとって、独りで生活することと寂しさとは、まったく無縁のものでした。


よく誰かが、独りで暮らすのが寂しい、なんて言っているのを聞いても、


さっぱり理解ができなかった。


1人で暮らすのって快適じゃないのよ! 好き勝手出来るし気を遣わないですむし。


そんな感じで、若いころは1人暮らしを謳歌していたものです。




だけど、旦那さんと過ごした12年間が私を変えました。


自分以外の誰かと一緒に過ごすこと、を、いつの間にか私は望むようになっていたのです。


以前は、「他人は私を傷つける」という感覚が強くて、


だから、傷つくぐらいなら1人で暮らしたほうがずっとよい、と思っていた。


1人でいたら、私は絶対に傷つかないで済むから、ね。



だけど、それを変えてくれたのが旦那さんだったのです。


自分を傷つけない他人っているんだ。


初めて、確信を持ってそう思えた相手でした。



本当はそれまでだって、私を傷つけない人はたくさん、たくさんいたんですよ。


旦那さんの前にお付き合いした数人の方も皆、穏やかで優しい人達でしたし、


それ以外の知り合いや友人たちも、私を傷つけようとした人はいませんでした。



だけど、私はいつも警戒をしてたんです。


身構えていた、いつでも逃げられるように。


つまり、それだけ恐れが強かったんですね。別の言葉を使うなら、妄想というか。


どういう理由でそういう気持ちが生まれたか…ということには触れません。そんな話をしだすとキリがないし、私は、前向きな自分がとても好きだからです。


でもとりあえず、


そんな感情を持たずに旦那さんと過ごすことが出来たのは、


素の自分を見せてもあの人は私から離れていかない、あの人はどんな私でも受け入れてくれる…と、初めて確信できた人だったからなのでした。

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