いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

身綺麗

とりあえず、思ったよりもかなり早く、新しいスマホが問題なく使えそうになったので、


今日は、家の中の整理…引き出しを一つと、押し入れ一ヶ所の整理をしていました。




引き出しにはいろんなサイズのビニール袋がいっぱい入っていて、


ずっと前から気になってはいたんだけど、イマイチ整理をして不要なものを捨てる気になれなかったのです。


何年も前にレジ袋が有料化になったでしょ。


そのあたりから、ビニール袋を惜しんで使うヘンな癖が残ってて、


未使用だけど小さすぎる袋とか、ちょっと使わなそうな袋などを捨てる気になれずに、


有料化されたあたりから取り溜めてあるんだから、そりゃ引き出しいっぱいにもなるわけなんです。




もう一ヶ所、押し入れは、これも、段ボールに入っているもの(何が入っているのか不明な段ボールの中身)を捨てる作業をしました。


これもずっと気になってて、いつかやろうと思ってた箇所です、それをこの際だから片づけることに。



開けてみたらビックリでした。


引っ越して来た時に上に物を置いてしまって、押し入れの中でそのまんまになってたから、よっぽど古いものが入っていると予想はしていたのですが。。。


でてきたのは、なんと、テレビ用のホコリとりのモップみたいな掃除具と、テレビ用のふき取りシートと、テレビのリモコンカバー。


これらを入れたビニール袋には、でっかく電気量販店のロゴが書いてあるんです。


少し考えて、すぐにわかった。


つまりテレビがアナログからデジタルに変わったとき、


日本中が大騒ぎして、電気量販店でもデジタルテレビのセールとかやったでしょ。


あの時の、お店からのサービス品です、


うちの店から買って戴いてありがとうございます的な。



それを使わずにしまい込んで忘れたままになってたんですね。


それにしても何年前よ…と思って、デジタルテレビのことをネットで調べたら、


販売が始まったのが2003年ですって。


ただ、家のテレビを変えた…というか、旦那さんが買って来てくれた記憶があるので、


そうすると、早くとも2008年以降だな。


ちなみにアナログ放送が終わったのが2011年だそうなので、それまでの期間ですよね。


それにしてももう13年以上前の話じゃん。 うそっ。信じられん。




だもの、そんな具合ですので、まだまだ家の中には何が置き去りにされているか分かったものではありません。


流石に食べ物はないでしょうけど、それにしたって、ねえ。


なので、私が今日、頭に浮かべながら整理をしていたことは正解です。


つまり、ちょっと早いけど、終活。


この作業は、私の終活のようなものなんです。


だってぇ。 


私が死んだ後に、押し入れから13年前のリモコンカバーなんかが出てきた日には、


恥ずかしくってどうしようもないですもん。


逝くときはきちんと身ぎれいにして、格好よく逝きたいもんですよね。

他人の不幸は蜜の味…🎵

今もう日付は変わっています。


子供のころから宵っ張りの私なので、もともと休みの前の日などはよく、日付が変わってからブログ書いたりしてるんですが…。


今日あたりは、2階のお兄さん(もとい、おじさん)(私より年齢は若い独身者ですが、年齢的にはしっかりおじさんだわねぇ、あのひとも。)が、


今もう夜中の1時過ぎだけど、2階から、ドンドンドン…と足音が聞こえてきました。


いつもだったら明日のために皆もう寝ている時間だし、そうそうそんな音、聞こえてくるほどのボロアパートじゃないんですけどね。


連休中だから、少し気が緩んでるのかもしれなくて、


なんとなく、みんな休みを楽しんでるんだなぁ…なんて、私も気持ちがワクワクしてきます。




今日、日中買い物に出た帰り、横断歩道のところで歩行者に道を譲っていたら。


譲った歩行者、お爺ちゃんが少しヨロヨロしながらゆっくりゆっくり、横断歩道を渡ってゆきました。



勤務先が老人ホームから、在宅介護の事務所に変わってから、


私自身がご老人を目にする機会はめっきり減っています。


ふだん職場と家、時々スーパーに立ち寄るくらいの生活なので、


そんな生活だと、後期高齢者の姿ってそうそう見かけません。


たぶん70代後半か80歳代のその方が、


老人特有の腰をかばう歩き方をなさっているのをしばらくぶりで見て、


ふと、「あのお爺ちゃんだって、しばらく前…若い頃はあんな歩き方じゃなかっただろうになぁ」なんて思ったのです。




時間って流れるんだなぁ、となんだか最近とても強く感じています。


だから、知らないお爺さんの姿を見ただけで、そんなセンチメンタル(?)なことを考えてしまうのです。


たとえば30年前なら、彼もまだバリバリのサラリーマンでスーツが似合ったんじゃないかしら、とか、


その頃だったらもっと、さっそうと肩で風を切って(?)歩いていたに違いない、とか、


「じゃあ、そんな彼が定年を迎えて、明日っからもう職場に行かなくていいってなったとき、彼は何を思ったんだろう?」とかね。


自分自身が今、ちょうどある意味、人生のターニングポイントを迎えようとしていて、


少~し不安定になっているからなんだと思います。


自分の1年後(満60歳)、6年後(満65歳)がなかなかイメージできなくって。




ところで、全然別の話になるんですが、


うちの職場の入浴介護をやってる人…看護師さんなんですが、


先日、事務員である私のところに来て、


彼女の夫が病気で倒れて、休職するための書類を入院先の病院に頼んだらよいのか、それとも夫の職場に頼んだらよいのか、を聞いてきたのです。


私は、彼女の質問についてはまず職場で聞いてみることをお勧めしたのでしたが、旦那さんは先日、心筋梗塞で倒れたのだそうです。


「ああ…、おんなじだ」と思いました。


うちは脳梗塞だったけど、でも、うちの旦那さんはもともと心臓にリスクがあって、心臓から脳に血栓が飛んだことによる脳梗塞でした。


だからきっと、たぶん状況は酷似しています。


でもとりあえずは今、彼女の旦那さんは入院をしていて、今の時点で生死の境を…というものでもないらしい。


ただし、例えばマヒが残って半身不随になったり、高次脳機能障害になったり…と、生き残ったから即ラッキーとは言えないのがこの病気で…。




今日のテーマ、


「他人の不幸は蜜の味…🎵」とは、先人もうまいこと、皮肉(イカした皮肉?)を言ったもんです。


あえて今日のテーマにしたのは、上述の看護師さんのことがあったから、です。


結論から言えば、私、今回の事では他人の不幸を喜ばずに済みました。




たぶん、もう少し前だったら私、


ご家族が脳梗塞・心筋梗塞になった職員が居たら、内心、喜んだと思います。


もちろん人には絶対そんなこと言いませんけどね。 


だけど、「こんなに辛いのって、私だけじゃないんだ!」という感情が湧いて来たんだと思うんです。


「あたしだけじゃないもんね~~、ふふふ、やったぜ!」ってね。




だけど、今回、そういう気持ちは湧かなかった。


スレスレセーフで、私自身が旦那さんの死を、「過去の事」にできていたからなんだと思います。


それには、例えば昨年の2度の恋愛や、4ヶ月半の入院で自分の家(旦那さんとの生活の舞台)から離れられたこと、などが色濃く影響しているのでしょうが、


本当にスレスレセーフで、職場の同僚の不幸を喜ぶことをせずに済みました。。。




そして彼女には、「辛いですねぇ。だけど頑張って。」とエールを送ることができました。





なんだかちょっと、自分への評価(自己評価)がアップした感じがしています。


そしてもうひとつ、


人生の転機って、やっぱり皆平等に起こるんだなぁ、ということ。


なんとなく、悪いことがいろいろ起こるのは私だけで、


皆はそれなりに幸せに、人生を楽しく生きてるんだなぁ…なんて思ってたから。



なんかそういう意味で、今回のイベントは私にとって、とても大きな意味を持つものになりそうです。


やっぱり、人間って平等にできてるんだね。


神様が、そうお創りになったということか。

スマホの機種変

ゴールデン・ウィークの1日目。


今年の休みはどうしようか…と暫く考えて、


実は、スマホの機種変をこの休みに充てることにしていました。





我が家付近は、職場がある場所よりは若干都会なので、


auも、職場近くのauのほうがずっと空いています。


なのでわざわざ休みの日に、職場のすぐ近所まで出かけて機種変をすることになってしまいました。苦笑。




でも私、交換前のスマホが5年もったので、最近の機種変事情に疎かったのですが、


以前より、だいぶいろいろ楽に済むようになってるんですね。


だから、覚悟して臨んだ割には、


明日と明後日で充分以前と同じくらいに使えそうなので、


ゴールデンウィーク後半は日帰りでどこかに出かけてこようかな、なんて思い始めています。




今回で現役卒業のスマホには、


実は、旦那さんの肉声が録音されているのです。一回だけだけど。


電話の留守録に、「もうすぐ帰るからね~」みたいなのが録音されてた。


それに気が付いたのは、旦那さんが亡くなってからしばらくしてだったと思います。



そしたらこの間、本当にまだ1ヶ月も経ってない直近なのだけど、


旦那さんの友人から、「留守電に録音されてたよ~」なんて知らせがあったんです。


確か、私と同じく機種変で、録音を確認していて初めて気が付いたらしいです。


ま、その友人には私たちの関係を知らせてはいなかったので、


なんだか「聞かせて~聞かせて~」と騒ぐのもヘンだし、


聞いたらきっと、私、泣くから、


「あらぁ、録音されてたの~。そうなんだぁ」くらいにお茶を濁しておきました。





ヘンな話、もう、なんだか「今さら感」があるんです。


今さら感…といっても、そんな冷たい気持ちではないんですよ。


でも、


「聞いたって悲しくなるだけだから。」みたいな、


「しょうがないでしょー。」みたいな、ちょっと斜に構えた感じの気持ちではあります。



だから、せっかくの旦那さんの声なんだけど、そんなに聞きたくないと思ってしまった。


友人も多分、友人として、私の気持ちを理解してくれたんだと思います、


だから、何も言わなかった。


「スマホに残ってたよ」と言っただけで、それ以上はそのことについては、双方何も話しませんでした。





現役卒業のスマホには、旦那さんの声が入っていたり、


そのスマホは旦那さんも、見て知ってるスマホなんですよね。


そういうものが、またひとつ、私のそばから消えるなぁ、なんてね。


寂しい気持ちになるわけです。



 
もちろん声が入っているし、


今日、auの人から聞いたんだけど、契約の終わったスマホでも、ずっとインターネットは見続けられるんですってね。


だから当然、捨てないで保管しておきますが、


でも多分、もう、声は聞かないような気がするなぁ。


自分から積極的に、声を聞いて懐かしむ…という時期は、きっともう終わってるんだと思うんです、私。 


現実的でない、というか。  そういうことは、もはや生活の一部ではない、というか。



でも一方で、声を聞いたら多分泣くなぁ、なんて思っている私もいるわけで、


いろんな、いろんな感情があります。


いろんな、いろんな私が居ます。



どれも全部、本当の私なんですよね。


つまり、言い及んでしまえば、別の男性を好きになるのも私だし、


同じ私がまた、旦那さんを恋しがる私も居る、というか。


どっちも私。 


正直な私の気持ち、なんです。