草原と、白樺と。(2)
今日でとうとうゴールデン・ウィークもお終いですね。
今年のGWは、私はずいぶん充実してましたよ。
観光は磐梯高原だけですけど、
スマホの機種変もしたし、衣替えもしたし、押し入れや引き出しの整理もしたし、
あ、忘れちゃいけない、押し入れは終活です!終活。
たぶんもう、着ないだろう洋服の整理と、そのゴミ出し。
ずいぶんさっぱりしましたよぉ~~、ゴミ袋45ℓを2袋ぶん。
売りま買いまに出してもそうそう引き取ってくれないから、捨てるしかないものね。
私が捨てるなんて、どれもそうとう(普通に)着古してるから、しょうがないっちゃしょうがない。です。はい。
昨日の続きをもう少し。
5月に入ったけれど、磐梯吾妻スカイラインも標高の高いところはまだまだ雪が溶けないようです。
確かに新雪ではないから雪質はだいぶ汚れている(道路わきの雪だから、車が走って汚すんだねきっと。)けど、
でも、車中から見てるから気温がよくわからないんですが、
雪が溶けないってことは、まだまだだいぶ気温は低いのよね。
でも1ヶ所、道路わきで、ちょうど道路に沿った側溝に水が音を立てて大量に流れ出ている場所があって、
それを見る限り、「あぁ、高原にも春が来て、雪解けの真っ最中なんだなぁ。」とちょっと感動すら覚えました。
スカイラインの中間あたりに浄土平という場所があり、
そこに大きな駐車場があって、レストハウスや吾妻小富士という景勝地があります。
吾妻小富士にはみんなぞろぞろと登って行って、火口底まで高低差70mという頂に到着し、登山気分を味わうことができるそうです、(私は登ったことないけれど。)
下の写真のように、昨日は登る人も果てのない行列になっていて、広い駐車場も停めるところがなく、待ちが出ているほどでした。
高原の春を満喫した後、
取って返して、諸橋近代美術館というところにダリの展示を観に行きました。
”柔らかい時計”が有名な、サルバドール・ダリさんですが、
諸橋美術館にも”柔らかい時計””溶ける時計”の彫刻の展示がありました。
だけど、ここの美術館は写真が撮れなくて、ちょっと残念。
ダリさんはスペインの裕福な家庭に育ったのだけれども、
幼くして亡くなったお兄さんと、同じ名前を付けられてしまったそうで、
ダリさんの幼少時代、その後の人生にも、その傷心は生涯影を落とした…とありました。
ダリさんの作品で唯一。
「テトゥアンの大会戦」。
奥さんガラ夫人と自分を中央に置いた構図です。
柔らかい時計など意表を突く作品が多いため、
ちょっと意外な感じがするのは私だけでしょうか。
昨日は、磐梯高原や諸橋近代美術館を満喫して帰って来た私でしたが、
実は今日、先日の「遺産相続代行」の件で、
従姉より連絡がありました。
なぜ、私の母の旧姓を名乗る、我々の知らない女性の遺産について関西の行政書士から連絡が入ったのか。
これについては、ちょっと火サスの匂い(?)のするオチでした。
つまり、やはり祖父の不倫だったのです。
従姉がきちんとした人で、かなり以前に何かの用事で、祖母とは離婚してその当時からすでに疎遠になっている祖父の、戸籍謄本を役所に取りに行ったのだそうです。
そして、そのコピーを持っていたのだとか。
そこから推測するに今回亡くなったのは、祖父と再婚相手との間にできた子女だろうとのこと。
要するにガセネタではない可能性は高い代わり、まったく知らない(しかも元本妻と愛人との関係性)相手との交渉になるわけで、
従姉弟と私の4人でタッグを組んで(?)、連携取って相手方と交渉することにしましょう、ということになりました。
ただし、それはそれでよい。
遠くもない代わりに近くもないし、こちら側の遺産相続人も4名いるので、もし仮に遺されたものが負の遺産でなかったにしろ、どっちみち、大した額にはならないでしょう。
それより、なにより、私にとって大きなショックだったのは、
私の祖父もまた、要は不倫をした人だったという事でした。
従姉からのメールに気が付いた出先からの帰り、
玄関先で椅子に座ってメールを読んでいたのですが、
「”血”かよ。 ”血”だったのかよ。」と独り言を言った瞬間に、
私は力が抜けて動けなくなり、その場で泣き崩れてしまいました。
いろんな、いろんな思いが、脳裏を駆け巡りました。
何故って私は、被害者であると同時に加害者でもあるわけだから。
母は私に、それについては一言も告げなかった。母は、自分たち家族を裏切った父親をどう思っていたのだろうか。
そしてまた、その孫である私が、自分が加害者となって他者を苦しめている。
こういうのって、輪廻とでも言うのだろうか。
涙で文字が見えないので書けないよ。 続きは明日