いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

十分の一

昨日、テレビを見ていたら、


もうすでに季節外れになった桜の満開の風景が写っていました。


そしたら急に、涙腺が壊れたように涙が出てきました。


なんだかどうやら、桜は私のウィークポイントになってしまっているらしいです。




桜の映像を見るだけで、


旦那さんのことを特に思い出さなくても、涙が出てきます。


春の空や空気を連想させる、あの独特の花びらの色合いが、


わたし的になんだかぐっとくるのです。


春を迎える希望の花のはずなのに、どこかはかなく寂しげな。


旦那さんとの楽しい嬉しい暮らしの裏に、避けられない別れの宿命があったような。


桜の花を見ているといろんな気持ちが沸いてきて、涙腺が緩むらしいです。







昨日の晩は、珍しい友人から電話があり、長話になりました。


旦那さんが亡くなったことを言っていなかったので、


旦那さんとは直接の知り合いではないけれど、


昨年6月からのことをかいつまんで話すと、とても驚いていました。


同い年の友人が夫と死別したことがショックだったみたいです。


「私も旦那が死んだらそんな気持ちになるのかなぁ」と、ちょっと不思議そうでした。




そうですね。想像つかないでしょうね。


1年前は、私も想像つかなかったもの。


いつかは来ることだとわかってはいても、考えれば恐ろしすぎて、


無意識に考えることを拒絶していたのだと思います。


人間の心理ってそういう働きがあるそうですものね。


だけど、それが現実となった時、


あなたも、まるで絶叫マシーンみたいな、おそらく一生で一番のどん底を味わうことになるのですよ。




口で説明しても絶対わからないだろうから、そんな話はしませんでしたが、


長話をしているうちに、自分の気持ちに気づいたことがありました。


旦那さんが亡くなって間もなく11ヶ月になりますが、


亡くなった当初と現在の、悲しみや寂しさを比べると、


だいたい十分の一くらいになってるかなという感じです。


最初の頃の激烈な、それこそ絶叫マシーンに乗っているような、統率の取れない激情は確かになくなりました。


だから我ながら、十分の一というのは結構妥当な数字かなと思います。


だけど、これからは、多分年単位でこの状態が続くのでしょうね。


こういう気持ちのままでずっと多分、


かなり長い時間を過ごさなきゃならないのだろうなと思っています。

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