いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

惰性で生きていくこと

「惰性で生きてるようなものだから」と、気が付いたら言っていました。


今日、職場で同僚の男性と話をしていて、出てきた言葉です。




ここ最近、ずっとモヤモヤしていた感情でした。


何か目的があるわけでもなく、


若いころのように目標があったり、生きがいがあったりするわけでもなく。





旦那さんが生きてた頃は、「何のために…」なんて考えたこともありませんでした。


楽しかったから、生きてたんです。


旦那さんと一緒に居たら、苦しいことだって乗り越えられたし、


彼とおしゃべりしてたら、嫌なことだって忘れられたしね。





だけど、今、何のために……?


時々わからなくなって、


でも言葉に出してはいけないような気がして、飲み込んできた感情でした。




もし若い頃だったら、他に何か目的を見つけるのは割と簡単だったような気がします。


たとえば何か資格を取ってみるとか、


趣味にのめり込むとか、


転職してまったく別の世界に一歩踏み出すとか、


新しい異性とお付き合いすることだって、選択肢の一つにあったかもしれません。


でも、すっかりおばさんの私に、


そんなエネルギーは残っていません。


だから惰性で、残された時間を、ただただ生きていくしか他に方法はありません。




もちろん今は、たぶん、


あまり積極的に前に進む気力がないから、そう思うのかもしれません。


1年とか2年とか経ったら、また違う考えが浮かぶかもしれません。


(時間は逆には進まないから、


いくら時間が経っても、新しい異性…というのは無いでしょうけどね、笑)




でも、ありがたいことに(?)、自分で命を絶とうとまでは思わない私が居て、


自分以外のものには興味のある、(オバサン丸出しの?)私が居ます。




今後の自分が楽しく素敵な人生を送れるなんて露ほども思わないけど、


でも、ヘンな話ですが、


これからの日本や世界や地球や人間や、その他諸々が、


今後どうなっていくのかは少し興味があるんですね。


私に残された時間…20年や30年じゃ、大した変化はないのかもしれないけど、


今後どうなっていくのか、見届けたいと思っていたりします。





だから、惰性だけど生きていこうと思っています。


そして独り言で、


「別に惰性でも、いんじゃね?」なんて言ってみました。


惰性で結構。死んだらおしまいだぜ。なんてね。

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