いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

以前の生活が戻ってきた感覚がちょっとあります。

昨日で、とうとう今までの拠点での仕事が終わりました。


昨日は朝の通勤途中からずっと、旦那さんの事ばかり考えていました。




「この道路を通勤している途中で、私は何回泣いただろうか。」…なんて、


ひとつひとつ、考えてしまっていました。


今日で、良きにしろ悪しきにしろ一つのフェーズが終わってしまう、


その心構えは充分にできているのか、


思い残すことはないのか。


箱に閉まって封をする前に、もう一度ちゃんと確認をしておかなくちゃ。


そんな思いで、あったことを思い出したり、その感覚を思い出したりしていました。





通勤の途中に、私は何回泣いただろうか。


何回どころじゃない、旦那さんが亡くなってから1年未満は、


ほとんど毎日、バイパスから海を見るたびに、泣けてきていました。


海沿いの駐車場にクルマを停めて、この海を何度一緒に見たことだろう。 


ふたり並んでくっついて、いつ見てもよい景色だねぇ…なんて言って、


そんな幸せな時間が、いつまでもずっと続くと信じていました。


だけど、続かなかった。


以前ふたりで見た海を、ひとりきりで見るなんて悲しすぎて、


旦那さんが亡くなって以来、その駐車場にクルマを停めることすら避けています。





職場に着けば、


今までに何度、旦那さんを思い出しながらこの建屋を見上げたかな、なんて思います。


毎日仕事が終わった帰り、職場から出てきて、ふと現実に戻った時、


建屋が視界に入る瞬間と、旦那さんを思い出す瞬間がいつも同じだったから。



トイレに入れば、…その白い個室の中で何回私は泣いただろう…なんて、


やっぱり考えてしまいます。 


…そんなことばかりを思っていた一日になりました。







異動の準備に、机やロッカーの荷物は一度すべて家に持ち帰ったので、


今日は一日、その整理をしていました。


それから夕飯を作って、その一部を明日のお弁当のおかず入れに詰めました。


ほんとだったら明日の朝やればいい事なんだけど、


まだ感覚を思い出せなくって、今日のうちにできることは全部やっちゃいました。


とりあえず明日の朝は、


お茶をポットに入れたり、炊けたご飯を詰めたりするだけにしてあります。




旦那さんが亡くなって以来、


一度も使ったことのなかったお弁当のケースを出したり、


朝にご飯を炊くことなど、


2年弱ぶりにやり始めたことがあって、


また少しずつ、生活が戻ってきた感覚があります。


だけど、それが嬉しい事なのか、寂しい事なのか、さっぱりわかんなくって、


気持ちが付いて行っていないところがあったりしています。

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