いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

6ヶ月半にして初めて…

実は昨晩、6ヶ月半ぶりにお米を炊きました。


ちょっと恥ずかしいけれど私にしては大事件でした。





ふたりでずっと食事をしてきたテーブルで、


誰も座っていない椅子を目の前にして、ひとりで食事をするだけでも悲しいのに、


自分で作ってひとりで食べる? 笑顔も会話もないまま、自分で作ったのぼそぼそ食べる?


そんなの絶対やだやだやだ。


だからここ6ヶ月半、自宅での食事はすべてお弁当やパンで済ませてきました。





だけどさすがに、これを続けていてはいけない、と思い始めました。


体が参っちゃう…と思って、半月くらい前に生協の注文販売を再開したのです。


ずっと前の一人暮らしの時に利用していたのですが、


ひと手間加えるだけでよい便利な食品があったりするから結構助かるんですよね。




生協から届いたちょっとおいしそうなソーセージがあったので、


昨晩、決心してご飯を炊いてみました。


…といったって、副菜のサラダはお惣菜だし、スープもお湯を注ぐだけの粉末スープです。


お米を0.5合炊いて、ソーセージを薄切りにしてフライパンで焼く。


たったそれだけでしたが、敷居は高かったです。




炊けたご飯をお茶碗に盛り、お味噌汁のお椀にスープを入れて、


焼いたソーセージと洗ったプチトマトを、久しぶりで塗り箸を使って食べました。


6ヶ月半ぶりに、なんかこれでも、とても家庭っぽい感じがしました。


なじみのお茶碗にほっこり盛られた湯気の立つ白いご飯を見たら、なんだか思いが複雑すぎて泣けてきました。


そしたら、誰も座っていないはずの向かいの椅子に、


一瞬ですが旦那さんが座っているような気がしました。




どうして死んじゃったのよ。もっと一緒にご飯食べたかったよ。


寂しいよ、寂しいよ。


泣きながらご飯食べたの、生まれて初めてでした。




食事が終わった後、お茶碗とお椀の置き方を換えました。


今までは、旦那さんが生きていた時のまま、


旦那さんのお茶碗の上に私のお茶碗、旦那さんのお椀の上に私のお椀を置いていました。


だけど食事が終わって食器を洗い片付ける時に、


旦那さんのお茶碗とお椀を重ねて奥へ、


私のお茶碗とお椀を重ねて手前に、置き換えました。

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