いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

からだを休めること

今日の日曜は、しばらくぶりでお休みでした。


旦那さんの休みはカレンダー通りだったから、


以前だったら、一緒にドライブでもしていたことでしょう。




休みと言えば去年の1月は、元旦が出勤で2日3日が休みだったので、


暮れにそれがわかった時点でホテルを予約して、


正月は一日遅れで伊豆に旅行に行きました。


まだコロナの騒ぎもなかったし、あの頃は自由にいろいろできて楽しかったなぁ。




でも、なんだか予感があったのか、


2月にふたたび土日の休みがあった時に、ちょっと頑張ってまた一泊の旅行をしました。


そして、それが最後の旅行になっちゃいました。


しかもその時、せっかく奮発して高いホテルに泊まったのに、


その晩に私が熱発して、とんぼ返りに帰ってくることになっちゃった。


せっかくの旅行を台無しにしちゃって、旦那さんに申し訳なくて、


「ごめんね、ごめんね、必ずまたリベンジしようね」と約束したのに、


その約束は、叶えることができませんでした。





さて、今日ですが。


実は私、先週から今週にかけて休みが少なく、


4日間働いて、今日が休みで、明日からまた4日勤務です。


おばさんの体力的にはちょっとオーバーで、


そのため今日は、なんにもせずに一日ぼやーっと過ごそうと思っていました。


ぼやーっとしていると、いろんな考えがめぐります。


一時期はそれが嫌で、何もせずに時間を過ごす…ということができませんでした。


今日は、目や神経を休ませるためにミシンもしないで居たのですから、


そういう意味ではちょっと良い傾向なのかもしれません。





でも、リビングの椅子に腰を掛ければ、


「いつも向かいの椅子に座ってテレビ見てたなぁ」…とか、思い出します。


お風呂に入れば、


「湯舟にこっち向きに入って、なんだかいつも仕事のこと考えながら、


眉間にしわ寄せてお湯に浸かってたなぁ」…とか考えます。


やっぱりいろいろ、いろいろ、思い出して時々まだ涙は出ますが、


前のように、その度に泣き疲れて体力が消耗するほどではありません。





旦那さんと私が参加していた、ある会合のための会場が、コロナのあおりで借りられなくなってしまったため、


今日、他の会場をレンタルする手続きをしました。


このコロナ禍のなか、会合を開催するのが良いことなのか避けるべきことなのか、


とても迷いました。


以前なら旦那さんに相談することができたし、


第一旦那さんが責任者だったため、ある意味私はとても楽でした。


だけど今、やるもやらないも全部決め事は私がしなければなりません。


いろいろ考えた末、少なくても不要不急の集まりではないことと、


旦那さんが第一波の時に判断したやり方に沿って、


とりあえず今週は開催することに決めました。






今回の会合のこと以外でも、


たとえば何か、今までやったことのない慣れないことをするとき等、


旦那さんがいなくて、一人で判断に迷ったり、自分一人で決断し実行しなければならないから、


悲しみや寂しさではない涙が出る時があります。



いつになったら、何かを一人でやることに慣れるんだろう。


ため息が出てしまいます。




気を取り直して、晩ご飯に酢豚を作りました。


あ、本格的な酢豚ではなくて、チルドでつくる酢豚です。


玉ねぎとピーマン炒めて、具材とソース入れて作る、あれです。


チルドの酢豚、旦那さんの好物だったのです。


「あの酢豚、また食べたい」と旦那さんがいうと、


私はいつも玉ねぎとピーマンを買ってきて、チルドを使って作っていました。





スーパーで見つけて、


私は特に酢豚が好物でもないんだけど、


買ってきて作って、遺影の前にもお供えをしました。


なんかきっと、しばらくぶりの酢豚に嬉しかったのかもしれません。


遺影の顔が、いつもよりもうちょっと笑顔だったような気がしました。

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