いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

死を受け入れるための儀式

これから書くこと、


もしかしたら相手の立場に立ってない文章かもしれません。


そう感じた方がおられたら、私の浅はかさを許していただき、読み飛ばして戴ければ…と思います。




テレビで自然災害の報道などを見聞きして、度々感じることがあります。


一時期のコロナで亡くなった方の場合も同でした。


行方不明のためご遺体に会うことができないとか、


コロナの場合は感染を防ぐために、ご遺体が灰になるまで会うことができない等、


そんなニュースを見聞きする度に、ご家族はさぞお辛いことだろうと想像します。




実は私も、ほんの少し違っていたら、同じことになっていたかもしれませんでした。


というのも、私は旦那さんと籍を入れた夫婦ではないからで、


ご親族とは会ったことも挨拶をしたこともなく、


ですから、もし今回、ご親族の厚意がなければ、


私は旦那さんのお通夜やお葬式に出席することも叶わなかったわけなのです。 





運がよかったのは、


私の目の前で、旦那さんが倒れたことです。


ですから結果として、私からご親族に、病院に運ばれたことを知らせる形になりました。


もし仮に、私の知らないうちに、例えば仕事中に倒れたりとかだったら、


仕事先に私の電話番号は知らせていないし、


親族に連絡が行って、最悪、まったく私が知らないうちに死んでしまったかもしれません。


そして、お通夜やお葬式に私が出席することはできなかったでしょう。






礼服を着てお通夜やお葬式に出席することや、


お線香の匂いやお経が流れる中、棺に入った旦那さんの遺体を見ること、


お葬式やお通夜に出席し、ご遺体に話しかけ、体をさすり、


火葬場で窯の中に運ばれるのを見、


荼毘に付された白骨を拾って、骨壺に入れる。


これらの過程を一部始終、経験させてもらったことは、


私が旦那さんの死を受け入れるために、欠かせない経験となりました。




だから、どこのメス犬やも得体のしれない私を、


お通夜やお葬式への出席を許してくださったご親族には本当に感謝だし、


そのおかげで、私はわりとスムーズに、配偶者(?)の死を受け入れることができたのだと思っています。




話が最初に戻りますが、


災害でご遺体が発見されない場合とか、


コロナでご遺体と対面することができなかった場合も含めて、


ご家族がその死を受け入れるのは、きっと、本当に苦しい事だろうと推測するのはこのためです。


自分の経験に置き換えて見て、


もしあの時、身近な人の死を受け入れるための一連の儀式…お通夜やお葬式…に出席することができなかったら、と想像するだけで、


ちょっと、ぞっとするし、


もしそうだったら、今ごろもしかしたら、普通に社会生活はできていなかったかもしれません。

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