いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

思い出した

勤め先が老人介護施設なので、時々おじいさんおばあさんの旅立ちに出会います。


旦那さんがいなくなってからも何件かあったけれど、


館が違ったり、休みの日だったりして、


その場に出会ってしまうことは今までありませんでした。




ところが、何日か前から怪しいおばあさんがいらして、


今日の夕方とうとう旅立たれました。


私たちはその度に一階の玄関でお見送りをします。


今まではいつも、もちろん迎えに来られたご遺族に失礼の無いようにしてはいますが、


さすがに今日は、旦那さんが亡くなった時のことを思い出して


涙をこらえるのに必死でした。




葬儀会社の白衣を着た男性がふたり、ご遺体を引き取りに来ました。


白い布を顔に被せられたご遺体が運ばれてきたとき、


白い布の下にあるのが亡くなったおばあさんなのか、うちの旦那さんなのか、


私は一瞬わからなくなってしまいました。


一種のフラッシュバックというものなのかもしれません。




ストレッチャーに乗せられて、硬い床の上を運ばれてゴロゴロゴロゴロ音がします。


体に響くし、痛いし、心地悪かったよね…ごめんね。


体の周りにアイスノンをいっぱい入れられて、冷たくてヒリヒリしたでしょ…ごめんね。


助けてあげられなくって…ごめんね。


気づいてあげられなくって…ごめんね。




一人で逝かせてしまった私を許して。


ごめんなさい。ごめんなさい。


ごめんなさい。

ひとりの時間を過ごす

亡くなってすぐの頃、旦那さんがいなくなった我が家で、


時間をどう過ごしてよいのか全く分かりませんでした。


今もわかったわけじゃないけど、でも最初のころはもっとわからなくて、


どうやって悲しみを紛らわせてよいのかまったくわかりませんでした。




だって、ちょっと何かしようとしても全部旦那さんの思い出があるから。


机の引き出しを開けたら彼の使ってたペンがあるし、


本棚を見たら彼の大事な地図帳があるし、


タンスには彼のスーツがかかってるし、もう家にいたら泣いてばかりです。




ある友達は読書を勧めてくれました。


でも、子供のころから私、読書はあまり得意じゃありません。


読むことがいつのまにか、読まなければならない…になってしまうのです。


楽しみになる前に義務感になっちゃう。


だから、読書を楽しめる人がとてもうらやましいです。




また別の友達は、ツタヤで借りてきたビデオの鑑賞は楽しいよ、と教えてくれました。


東野圭吾の「白夜行」とか一時期はまって何度も繰り返し見たりしたけど、


やっぱり長続きはしませんでした。




今のところ私的に心が安らぐもののひとつは、植物を育てることかなぁ。


…といってもそんなに経験があるわけではないのですが、


ひとつ嬉しかったのは、


旦那さんが亡くなってから花屋で買ってきたニューギニアインパチェンスが、


まるで私の心を慰める彼の意図があるかのように、満開に咲き誇ったことです。




不思議なことがいくつかあって、そのひとつは、彼が亡くなる少し前、


5月10日の母の日に「お礼の気持ちだよ」と言って、


私に赤いカーネーションを買ってきてくれたのです。


今までそんなことしたこともないし、


なぜ急にそんなことをしたのか結局聞かずじまいになってはしまいました。




でも、そのカーネーションは悲しいことに、日光が足りなかったらしく、


つぼみはたくさんあったのに花を咲かせてあげることができませんでした。


彼が亡くなってからそれがすごく悲しくて。


気持ちは暗いままだし、何かきれいな花を買ってきて部屋に飾ろうと思いついたのです。





6月の半ばに買ってきたニューギニアインパチェンスは、本当にたくさんの花が咲き、


私の気持ちを慰めてくれました。


そして花は一度ちり、水をやり液肥をやり日光のもと大事に育てたら、


なんと、8月13日、新盆の入りの日に、急に再びたくさんの花を咲かせ始めたのです。




単なる偶然なのかもしれないけど、


私は、旦那さんの気持ちがニューギニアインパチェンスを咲かせていると


信じることに決めました。


だってそのほうが嬉しいですもの。


旦那は今でもいつも私を見守ってくれていて、励ましてくれている。


だから、ほら、こんなに満開のニューギニアインパチェンスなのです。


3ヶ月半経ったけど

亡くなったのが6月3日だったので、今日でちょうど3ヶ月半経ちました。


誰もいない家に帰ってくることや、ご飯を一人で食べることには慣れたけど、


旦那さんを失った悲しみには全然慣れることができてません。





この間も書いたけど、夕飯はずっとスーパーで買ってきたお弁当です。


(毎晩、飽きずに食べてる笑。)


旦那さんいなくなっちゃって、誰も一緒に食べてくれる人がいないから、


もう、ご飯作るのすっかり嫌になってます、今んとこ。


ご飯作ってもいいな…と思える日が来るまで、ずっとお弁当食べ続けるつもりです。


飽きるかな?





先週かかりつけの内科に行ったときに、


お弁当食べ続けてるけど健康大丈夫ですか?と先生に聞いたら、大丈夫なんですって。


確かに、ここのところ私の体重は減ってきています。


考えてみれば、旦那さんが生きていたころは私、元気にぱくぱくよく食べたもんね。





今は、時間的にはうんとのんびりできます。


仕事から帰ってきてお風呂入って、買ってきたお弁当広げて


テレビ見ながらのんびり食べる。以前だったら考えられないような生活です。


だけど、いくら忙しくたって、


たとえ仕事帰りにドタバタと焦ってスーパーによるような生活だって、


そのほうがずっとずっと幸せでした。
何千倍も、何万倍も、今より幸せでした。


3ヶ月半たっても全然この悲しみに慣れなくって戸惑っています。


こんな心境、生まれて初めてなので、これから自分がどうなるか想像がつきません。


でもほかの方の死別ブログを読むと、何年経っても悲しいと書いてあったりしますし、


多分まだまだこの苦しみは続くんだろうなぁと思うと、ぞっとします。





引き裂かれるようなこんな悲しみって、生まれて初めてです。


以前母親を失った時は、悲しみはここまで深くなかったような気がするし、


3ヶ月半経った時、こんなに苦しくなかった気がします。


こんなすごい感情ってあるんだなぁ…。


以前テレビか何かで見たけれど、


配偶者を失うストレスって人間の感じるストレスの中で
一番強いものなのだそうです。


本当に、まさにその通りだと思います。


今、自分が正常でいられてるのがちょっと不思議な気がしています。