いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ひとりの時間を過ごす

亡くなってすぐの頃、旦那さんがいなくなった我が家で、


時間をどう過ごしてよいのか全く分かりませんでした。


今もわかったわけじゃないけど、でも最初のころはもっとわからなくて、


どうやって悲しみを紛らわせてよいのかまったくわかりませんでした。




だって、ちょっと何かしようとしても全部旦那さんの思い出があるから。


机の引き出しを開けたら彼の使ってたペンがあるし、


本棚を見たら彼の大事な地図帳があるし、


タンスには彼のスーツがかかってるし、もう家にいたら泣いてばかりです。




ある友達は読書を勧めてくれました。


でも、子供のころから私、読書はあまり得意じゃありません。


読むことがいつのまにか、読まなければならない…になってしまうのです。


楽しみになる前に義務感になっちゃう。


だから、読書を楽しめる人がとてもうらやましいです。




また別の友達は、ツタヤで借りてきたビデオの鑑賞は楽しいよ、と教えてくれました。


東野圭吾の「白夜行」とか一時期はまって何度も繰り返し見たりしたけど、


やっぱり長続きはしませんでした。




今のところ私的に心が安らぐもののひとつは、植物を育てることかなぁ。


…といってもそんなに経験があるわけではないのですが、


ひとつ嬉しかったのは、


旦那さんが亡くなってから花屋で買ってきたニューギニアインパチェンスが、


まるで私の心を慰める彼の意図があるかのように、満開に咲き誇ったことです。




不思議なことがいくつかあって、そのひとつは、彼が亡くなる少し前、


5月10日の母の日に「お礼の気持ちだよ」と言って、


私に赤いカーネーションを買ってきてくれたのです。


今までそんなことしたこともないし、


なぜ急にそんなことをしたのか結局聞かずじまいになってはしまいました。




でも、そのカーネーションは悲しいことに、日光が足りなかったらしく、


つぼみはたくさんあったのに花を咲かせてあげることができませんでした。


彼が亡くなってからそれがすごく悲しくて。


気持ちは暗いままだし、何かきれいな花を買ってきて部屋に飾ろうと思いついたのです。





6月の半ばに買ってきたニューギニアインパチェンスは、本当にたくさんの花が咲き、


私の気持ちを慰めてくれました。


そして花は一度ちり、水をやり液肥をやり日光のもと大事に育てたら、


なんと、8月13日、新盆の入りの日に、急に再びたくさんの花を咲かせ始めたのです。




単なる偶然なのかもしれないけど、


私は、旦那さんの気持ちがニューギニアインパチェンスを咲かせていると


信じることに決めました。


だってそのほうが嬉しいですもの。


旦那は今でもいつも私を見守ってくれていて、励ましてくれている。


だから、ほら、こんなに満開のニューギニアインパチェンスなのです。


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