いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

 感謝と反省と、明日への力。

仕事から帰ってきて、いつものようにお線香に火をつけて、


手を併せて旦那さんに話しかけをしました。


「今日も一日、見守ってくれてありがとうね」。


今日もそうだったけど、


具体的にあったことをお喋りしながら「ありがとね」を言うとき、涙が出てくることがあります。


…というか、最近は感謝の気持ちが湧く時は、ほぼほぼ泣いてるな。 


歳のせいか涙腺の締りも悪くなってるし。。。







旦那さんに対する感謝の気持ちと、


それから先日書いたような、旦那さんを悪者にする気持ち。


両方、ほんとうの私の気持ちです。




ですが結局のところ、


彼の誘いに頭を縦に振ったのは間違いなくこの私で、


そこから先は、大人なら取らなければならない自分の責任だったと思っています。


大体にして、彼とねんごろになったのは私が42歳の時だったか。 いい加減、善悪の分別がつかなきゃおかしい歳頃だし、そこに、私が責任を回避する理由は何もありません。




彼には、私が必要だった理由がありました。


そしてまた私にも同じく、彼を必要とした理由があった。


だから、お互いがお互いを必要としていて、だから、責任は五分々々です。


彼の存在はとりあえず置いておいて、私自身がこの生き方を選んだのだと、以前友人にも話したことがありました。






私には、彼を必要とした理由があった…と書きましたが、


だから今、私は彼を失っても、とりあえずは前を向いて生きていることができています。


連れ合いが死ぬと、生き残ったほうは強くなる…とはよく聞く話ですが、


私の場合、もう少しプラスアルファがありました。






私が、旦那さんとの生活を通して学んだことは、


生きるって結構楽しい事もあるものなんだな、ということでした。


彼は、楽しいことを自分から探してチャレンジするような性質を持っていたし、


そのイベントに人を巻き込むことも知っていました。


だから、彼との生活は、単純に楽しかったです。


次は何が起こるんだろう?


どこに連れて行ってくれるのだろう?


そんなウキウキ、ワクワクした気持ちは、私が産まれてこの方経験したことが全くなかった感情でした。



だから私、いつのまにか、


人って悪い人ばっかりじゃないし、


自分にこれから起こることも、悪い事ばっかりじゃないのかもしれない…て、思うようになってたんです。



そんな、たぶんきっと多くの人達にとっては子供の頃に習得するようなことを、


私が学び知るまでには42年間も掛かっちゃった。


だけど、人間が生きる上で非常に大切な、それらのことを、


私は旦那さんが居たから、知ることができたのです。





だから、私にとって絶対に必要な人でした。


出会うべきして出会った人。


そして、語弊を恐れずに言うならば、彼が妻帯者であったということは、私にとっては大した重要なことではなかったのです。





彼が亡くなった後、


落ち着きを取り戻し、少しずつ冷静になって来た時に、


彼の写真に手を併せれば、


悲しみよりは、感謝の気持ちが湧くようになったのです。


感謝の気持ちと共に、うれし涙…? 有り難いと思う気持ちからの涙…が湧くようになりました。



この感情は、ほんとうに、有り難い感情です。


有り難い…とはよく書いたもので、そうそう簡単に出てくる感情ではないと思います、少なくとも私の場合は。


ですが、この感情………胸にジンとする熱い思い………が湧くと、その涙は、なんだか私の中の悪いものすべてを洗い流すような、そんな威力を持っているように思います。


だから、この「有り難い感謝の気持ち」を、私はとても大切に思っています。


そして、彼の写真に語り掛けることで、自分の今日一日の感謝と反省と、明日への力を得ています、旦那さんから。

ほんとうのこと

有志の会があったけれど、


私は何も喋れませんでした。


ほかの参加者の話を聞くだけでした。


だって。


言えないもん。


ほんとの事なんか。


それにまだ、全然気持ちの整理がついてない。






今までもずっと、ほんとうのことは言わないままでここまで来ましたけれど、


でも、心が痛んだことはほとんどありませんでした。


いろんな意味での罪悪感を、私は今まであんまり感じて来なかったからなんです。




『 私だって今までずいぶん苦労してきたし、いつも一生懸命生きてきたんだよ 』。


『 だから、妻帯者との交際なんて、大したことじゃない 』。


『 第一、あの人から声をかけてきたんじゃないか 』。


『 私から望んでこうなったわけじゃない 』。




私の内には、自分でも気が付かないうちに、用意周到なマイ・ストーリーが出来上がっていました。


そして、私のなかにはいつも、自己正当化の理屈があったんです。


『 だから、私は間違ったことなんかしていない 』。




もっと〇〇〇だったなら。


もっと、△△△じゃなかったなら。


私がもっと〇〇〇だったら。


私が、△△△じゃなかったら。


私はこうはなっていなかった。 


本当だったら、私はもっと✖✖✖のはずだった。


だから、私には許される理由がある




そうやっていつも、周りの環境のせいや、他人のせいにしてきました。


でもしかし、それがなかったら、もしかしたら今の私は居なかったかもしれません。


だから、自分を責めずに済んだ。 責めずにここまで生きてこれた。


卑怯な自己正当化と笑う方は笑って下さい。


だけどそれは、ある意味、ほんとうのことなのです。





それがわかったのは、先日、


自分が一方では加害者でありながら、もう片方で被害者であることを知った時でした。


今となっては、想像力の欠如とでもいうしかないですが、


祖父の不倫を知った時、私は祖父の親族として、やっと初めて、被害者の側の立場に立てたのだと思います。




父親の不倫で、その愛娘はどれだけ苦しんだか。


母はその苦しみに口を閉ざし、


だがしかし、世の中で一番近い存在である私にすら、私が大人になってからでさえ、


一度たりともその苦しみを話さなかった。




たぶん、裏切った父親への憎しみは、私の想像を超えるものだったと思います。


感情を表には決して出さずに、内へ内へと溜める。


そして心の底に溜まってしまった感情は沈殿し発酵し、おかしな歪みを生じます。


あの人はそういう歪みを持った人でした。

人肌

一晩寝て、少しは落ち着いたかと思いきや、さにあらん。


もちろん仕事中も…イライラしていて、いつものようではなかったです。


いつもならスルー出来るようなことで、ちょっと相手に喰って掛かってしまった。


あとからちゃんと、ごめんなさい言いましたけどね。




情緒はかなり不安定です。


そんな時はやっぱり何かに寄り掛かりたくなる。


守って欲しいと思う。


抱き締めて欲しいと思ってしまいます。




肌を感じたいと思うんですよね。


安心するでしょ、人肌って。


赤ん坊が母親を感じるのと一緒で、


人はみな、最奥にその欲望を持ってて正常なんだと思うんだよ。


そして、自分の愛する人にそれを求めるのは当たり前の事なんだと思います。


だから私も、彼と安心…したい。


彼に。 安心させて…ほしい。


もうすっかり終わった相手なのに、情緒が不安定になるとダメですね。






職場からの帰り道で、運転しながらまた私はしこたま泣いて、


なんども、なんどもなんども、母に謝罪をしました。


ごめんなさい。 お母さん。


あなたは父親に裏切られて、なおかつ我が子も、あなたを裏切ってしまったんですね。




幼い頃に父親の裏切りにあい、


母親と姉、3人で放りだされて、


想像ですがとても寂しい思いをしたんだと思います。


そして次女のあなたは、長女の伯母さんに比べて内向的だったから、


だからあなたは生前、口数が少なく、いつも暗い顔をしていたのか。


なんとなく、理由がわかった気がしました。




母は決して、自分から気持ちを話そうとするような性格ではなかったため、


彼女の本音はほとんど聞かぬままになってしまいましたが、


彼女がいつも無言でくゆらす煙草の煙が、


そしてその時の彼女の表情が、


全部を物語ってくれているような気がしたものでした。




あなたはやっぱり寂しい人だったんだ。


あなたのお姉さんのように、我が娘(つまり私の従姉)に父親の愚痴を言えればよかったのにね。


愚痴を言ってくれたら、私、いくらでも聞いてあげられたのに。


今さらそんなことを言っても、時すでに遅しです。


ですがもし、母からそんな愚痴を聞いていたら、


私の人生にも少しは影響があったかな、なんて思います。



あ…いえいえ、自分の責任を、母に転嫁しようとしているのじゃないですよ。


私は私で、罰を受けるんだと思います。


人でなし、人非人が受けて当然の報いです。