いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ほんとうのこと

有志の会があったけれど、


私は何も喋れませんでした。


ほかの参加者の話を聞くだけでした。


だって。


言えないもん。


ほんとの事なんか。


それにまだ、全然気持ちの整理がついてない。






今までもずっと、ほんとうのことは言わないままでここまで来ましたけれど、


でも、心が痛んだことはほとんどありませんでした。


いろんな意味での罪悪感を、私は今まであんまり感じて来なかったからなんです。




『 私だって今までずいぶん苦労してきたし、いつも一生懸命生きてきたんだよ 』。


『 だから、妻帯者との交際なんて、大したことじゃない 』。


『 第一、あの人から声をかけてきたんじゃないか 』。


『 私から望んでこうなったわけじゃない 』。




私の内には、自分でも気が付かないうちに、用意周到なマイ・ストーリーが出来上がっていました。


そして、私のなかにはいつも、自己正当化の理屈があったんです。


『 だから、私は間違ったことなんかしていない 』。




もっと〇〇〇だったなら。


もっと、△△△じゃなかったなら。


私がもっと〇〇〇だったら。


私が、△△△じゃなかったら。


私はこうはなっていなかった。 


本当だったら、私はもっと✖✖✖のはずだった。


だから、私には許される理由がある




そうやっていつも、周りの環境のせいや、他人のせいにしてきました。


でもしかし、それがなかったら、もしかしたら今の私は居なかったかもしれません。


だから、自分を責めずに済んだ。 責めずにここまで生きてこれた。


卑怯な自己正当化と笑う方は笑って下さい。


だけどそれは、ある意味、ほんとうのことなのです。





それがわかったのは、先日、


自分が一方では加害者でありながら、もう片方で被害者であることを知った時でした。


今となっては、想像力の欠如とでもいうしかないですが、


祖父の不倫を知った時、私は祖父の親族として、やっと初めて、被害者の側の立場に立てたのだと思います。




父親の不倫で、その愛娘はどれだけ苦しんだか。


母はその苦しみに口を閉ざし、


だがしかし、世の中で一番近い存在である私にすら、私が大人になってからでさえ、


一度たりともその苦しみを話さなかった。




たぶん、裏切った父親への憎しみは、私の想像を超えるものだったと思います。


感情を表には決して出さずに、内へ内へと溜める。


そして心の底に溜まってしまった感情は沈殿し発酵し、おかしな歪みを生じます。


あの人はそういう歪みを持った人でした。

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