ほんとうのこと
有志の会があったけれど、
私は何も喋れませんでした。
ほかの参加者の話を聞くだけでした。
だって。
言えないもん。
ほんとの事なんか。
それにまだ、全然気持ちの整理がついてない。
今までもずっと、ほんとうのことは言わないままでここまで来ましたけれど、
でも、心が痛んだことはほとんどありませんでした。
いろんな意味での罪悪感を、私は今まであんまり感じて来なかったからなんです。
『 私だって今までずいぶん苦労してきたし、いつも一生懸命生きてきたんだよ 』。
『 だから、妻帯者との交際なんて、大したことじゃない 』。
『 第一、あの人から声をかけてきたんじゃないか 』。
『 私から望んでこうなったわけじゃない 』。
私の内には、自分でも気が付かないうちに、用意周到なマイ・ストーリーが出来上がっていました。
そして、私のなかにはいつも、自己正当化の理屈があったんです。
『 だから、私は間違ったことなんかしていない 』。
もっと〇〇〇だったなら。
もっと、△△△じゃなかったなら。
私がもっと〇〇〇だったら。
私が、△△△じゃなかったら。
私はこうはなっていなかった。
本当だったら、私はもっと✖✖✖のはずだった。
だから、私には許される理由がある。
そうやっていつも、周りの環境のせいや、他人のせいにしてきました。
でもしかし、それがなかったら、もしかしたら今の私は居なかったかもしれません。
だから、自分を責めずに済んだ。 責めずにここまで生きてこれた。
卑怯な自己正当化と笑う方は笑って下さい。
だけどそれは、ある意味、ほんとうのことなのです。
それがわかったのは、先日、
自分が一方では加害者でありながら、もう片方で被害者であることを知った時でした。
今となっては、想像力の欠如とでもいうしかないですが、
祖父の不倫を知った時、私は祖父の親族として、やっと初めて、被害者の側の立場に立てたのだと思います。
父親の不倫で、その愛娘はどれだけ苦しんだか。
母はその苦しみに口を閉ざし、
だがしかし、世の中で一番近い存在である私にすら、私が大人になってからでさえ、
一度たりともその苦しみを話さなかった。
たぶん、裏切った父親への憎しみは、私の想像を超えるものだったと思います。
感情を表には決して出さずに、内へ内へと溜める。
そして心の底に溜まってしまった感情は沈殿し発酵し、おかしな歪みを生じます。
あの人はそういう歪みを持った人でした。