いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

「あんたに何がわかるのよ」

しっかりと悲しむことは、できているほうだと思います。


旦那さんが亡くなって、ひとり暮らしになってしまったから、


誰に遠慮するわけでもなく、泣きたいときに泣いてきました。


(たぶん隣の部屋や上の階までは聞こえていないと思うので)、


声のかぎりに、泣き叫びたいときは泣き叫びます。





ほとんど誰からも、旦那さんの死に関することで


意見されなかったこともよかったです。


周りの人から見れば、声をかけて良いのか、ためらったからなのだろうけど、


……要するに、私がそういうものを出していたからなんでしょうけど……、


結局は、誰からも何も言われませんでした。



もちろん「もう泣くな」ともいわれなかったし、


それどころか、「気の毒だ」とかいう同情の言葉?も、聞かないで済みました。




死別者に対してだけじゃないけど、


「気の毒」と言う言葉って、使うのを気を付けなくちゃと思っています。


「お気持ち察します」「わかるわ」などと言うのも同様です。


もちろん理解者としての同情など、善意から出る言葉なのでしょうけど、


悲しみの真っ最中に言われていたら、私だったら、


「あんたに何がわかるのよ」と思ったろうと思います。




その人の気持ちは、その人にしかわかりません。


なかでも、死別の悲しみなどと言うものは、その最上級を行くもので、


同情だの慰めなどと言うのはまったく通用しない修羅場です。


だから、何も言わないのがベストなんだね。


少なくとも私の場合はそうでした。




私の場合、


私がそういう雰囲気を出してたからかもしれないけど、


誰も私に安易な言葉はかけないでいてくれました。


だから自分の世界にこもりっきりになって、


もちろん仕事とかの社会参加はしてたけど、


わき目もふらず一心に、悲しむことができたんだと思います。


だから今、時に悲しみ、時に落ち込み、時に寂しがりながらではありますが、


なんとか普通に笑顔で、社会生活が送れているのだと思います。


運がよかったのかもしれません、私。


旦那さんが助けてくれたのかもしれないな。

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