「あんたに何がわかるのよ」
しっかりと悲しむことは、できているほうだと思います。
旦那さんが亡くなって、ひとり暮らしになってしまったから、
誰に遠慮するわけでもなく、泣きたいときに泣いてきました。
(たぶん隣の部屋や上の階までは聞こえていないと思うので)、
声のかぎりに、泣き叫びたいときは泣き叫びます。
ほとんど誰からも、旦那さんの死に関することで
意見されなかったこともよかったです。
周りの人から見れば、声をかけて良いのか、ためらったからなのだろうけど、
……要するに、私がそういうものを出していたからなんでしょうけど……、
結局は、誰からも何も言われませんでした。
もちろん「もう泣くな」ともいわれなかったし、
それどころか、「気の毒だ」とかいう同情の言葉?も、聞かないで済みました。
死別者に対してだけじゃないけど、
「気の毒」と言う言葉って、使うのを気を付けなくちゃと思っています。
「お気持ち察します」「わかるわ」などと言うのも同様です。
もちろん理解者としての同情など、善意から出る言葉なのでしょうけど、
悲しみの真っ最中に言われていたら、私だったら、
「あんたに何がわかるのよ」と思ったろうと思います。
その人の気持ちは、その人にしかわかりません。
なかでも、死別の悲しみなどと言うものは、その最上級を行くもので、
同情だの慰めなどと言うのはまったく通用しない修羅場です。
だから、何も言わないのがベストなんだね。
少なくとも私の場合はそうでした。
私の場合、
私がそういう雰囲気を出してたからかもしれないけど、
誰も私に安易な言葉はかけないでいてくれました。
だから自分の世界にこもりっきりになって、
もちろん仕事とかの社会参加はしてたけど、
わき目もふらず一心に、悲しむことができたんだと思います。
だから今、時に悲しみ、時に落ち込み、時に寂しがりながらではありますが、
なんとか普通に笑顔で、社会生活が送れているのだと思います。
運がよかったのかもしれません、私。
旦那さんが助けてくれたのかもしれないな。