いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

「気がする」だけの寂しさ

寂しさって2種類あるような気がします。


本当に寂しい時と、「気がする」だけの寂しさと、


その2種類あるような気がします。




このブログにも何度も何度も書いているように、


旦那さんが居なくなっちゃって、毎日がとても寂しいです。


普通に生活していてひょんなことから、


2人で楽しく過ごしていたころのことを思い出して、


その度に、胸が縮むような息苦しさを覚えます。



例えばテレビ見てたり、運転したりしていて、


いろんな場所に、まるでポケモンみたいに思い出が隠れてて、


それに気が付く度に、あぁ…と思います。


無意識に、過去と現在を比べてしまう。


楽しかった過去と、寂しい現在とを比べて、涙が出てきます。



これはまさに、喪失感から来る寂しさの感情です。


最近の言葉で言ったら、ガチで寂しい…という言い方になるのでしょうね。




一方で、「気がする」だけの寂しさの時があります。


例えば何人か友達同士で喋っていて、


自分だけ何かの話題について行けなかったとき、


なんだかひとりで浮いてしまったような気分になって、寂しい気持ちになる。


私の場合ですが、こういうことって、まま、あります。


だけどその寂しさって、大概の場合ですが、「気がするだけ」、なんですよね。


浮いているような気がするだけで、入れないような気がするだけで、


本当の寂しさではありません。


別になんでもないことなのに、ただただ思い込みで、


自分で人との間に見えない壁を作ってしまいます。




旦那さんとのことで、本当の寂しさを知ってから、


私、「気がする」だけの寂しさが割と平気になりました。


そんなこといちいちかまってたら疲れちゃうよって思うので。


それどころじゃないほんとの寂しさと私は戦っているんだよって。





ちなみにオマケですが、


『寂しさ』と『淋しさ』ですが、調べてみたら、


『寂しい』は『静寂』や状況や様子を表す時に使い、


『淋しい』は、さんずいが“涙”を表すように、“涙が出る位に気持ちがさびしい時”に使う


………のだそうです。


なので私のさびしさは、ほんとなら「淋しさ」と書いたほうがいいのですね。


でもきっと、忘れてまた「寂」と書いちゃいそうだけど、


とりあえず勉強になりました。

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