いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

こんなとき

こんなとき余計に「まったくもう、なんで逝っちゃったのよぅ!」と思ってしまいます。


お風呂のガスが壊れた。


今日はさすがにシャワーじゃ寒いなぁ…と思ったのですが、


いざお風呂にお湯を張ろうとすると、なんだかお湯の音がしません。


湯舟を見たら、下のほうに、しかも水が少し溜まっているだけでした。


昨日まで普通にシャワー使ってたのに。あちゃー。


台所や洗面所の蛇口からもお湯が出なくなってしまって、


どうやら給湯機が故障してしまったみたい。


しかも、今日は土曜日ではないか。


このテのハプニングは、うちは全部旦那さん任せだったので、


私はガス屋さんの電話番号も知りません。


あっちこっちを探してやっとガス屋さんの電話番号を見つけたけれど、


土曜日だしすでに7時を回ってるし、当然誰も出てくれません。


明日が休みだったら、もしかして月曜まで待たなきゃならないの?




でもラッキーなことに、ここ何日か涼しくなって汗ばむ季節ではないので…。


でも、2日入れないのはキツイなぁ。


ま、暑い季節のハプニングでなかった事だけ、旦那さんが助けてくれたことにしましょう。

昨晩のこと

旦那さんが亡くなってから、旦那さんの親友と最初の1ヶ月間LINEのやり取りがありました。


しばらくぶりに「先日はお世話になりました」とLINEしたら、


「奥さん、辛いだろうから新しく頼れるものを探したらいいですよ」と。


頼れる人のこと?…と思って


「あの人は私にとってすごい人だったので、代われる人はなかなか現れないでしょうね」と返したら、


「別に男のこと言ったんじゃないです。趣味とかサークルとかの話ですよ」


なんか気まずくなってLINE終了になりました。




彼にしたら、4ヶ月も経ってないのに親友の奥さんに再婚勧めるわけないだろう、と思ったでしょうね。


でも、私と旦那さんは出会う運命だったのです。


私が彼からもらったものは、たとえようもなく大きい。


もし私が生前の彼に頼っていたのだとしても、いま、彼以外に頼れるものはあまり思いつきません。


もし仮に、他の誰か…と考える日が来るにしても、それは何年も経ってからだし、…、あ、そのとき私は多分おばあちゃんです。




だけど、あまりの苦しさと悲しさと寂しさに、勝てないんじゃないか、病気になってしまうんじゃないか、と考えてしまうことはしばしばです。


配偶者に対する喪失感…って、ほんとうに、時々感じる日常の悲しみとはまったく異質なものだと思います。


こんな感情って今までまったく知らなかったです。


私という存在の半分が持っていかれてしまった…というか、そしてまったく終わりが見えない。


何かを努力すれば、旦那さんとの以前の暮らしが戻ってくるわけでは決してありません。


何をしても。どうあがいても。私は全くの”無力”です。


私はただ、一日一日を薄氷を踏む思いで過ごすしか方法がありません。

連休

昨日と今日、今月2回目の連休です。


旦那さんがいた時には(彼はカレンダー通りの休みの職場だったので)、


私が土日に重なる休みをもらったら


「さぁ、どっかに出かけよう!」と、彼は地図帳をめくり始めたものです。


だけど今は私だけなので、


昨日は私の病院と、ニトリに買い物と、


スーパーに行ってお弁当を買ってきました。


前にも書いたけど、


旦那さんがいなくなってから


台所に立つのがすっかり嫌になってしまいました。


だから、


飽きもせずに毎晩お弁当を食べてます笑。


別に大した食欲もないし、


動けなくなるから食べるだけで、何でもよいのだもの。




ニトリではシングルの毛布を買いました。


ずっと使っていたダブルの毛布が


もうボロボロになっていて、


いつか買わなきゃと思っているうちに、


ダブルが必要なくなっちゃった。




だんだん秋になってきたから、


ニトリに行って少し薄めの毛布を買い、


ついでに最近ちょっと流行りの珪藻土のバスマットも買ってみました。




こうやって、だんだん旦那さんがいた時とは違う家になっていくんだなぁ、と思います。


水槽は金魚が死んじゃったから捨てちゃったし、植物の鉢が増えたし。


ミシンは買ったし、フェイスタオルも新しくしたし、………。


ぼんやりしていて、ふと「帰ってきたら水槽が無くなってるからびっくりするだろな」
なんて、普通に思ったりします。


そして、「あ…。」、「…帰ってこないんだっだ…。」と独り言。