いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

麦ご飯

雨が降ったので、桜は結構、散ってしまいました。


道路が桃色の花びらじゅうたんになっています。


木によっては緑の葉が透けて見えたりしています。


今の時期は毎年、花が終わる寂しさを思ったものでしたが、


今年は少し、ほっとしています。






郵便受けに、「上下水道使用量のお知らせ」が入っていました。


旦那さんが亡くなって以降も、水道も電気もガスも名義変更をしていないため、


これらの通知書は、今も旦那さんあてに届けられます。


そして今日、それを見た瞬間、


「あれ?」


と思ってしまいました。


「私の名前じゃない名前が書いてあること」に小さな違和感を覚えました。


こんなことは初めてでした。





つまり、だんだん、ひとり暮らししていることが、


日常になってきたのだと思います。


ひとり暮らししていることを受け入れたというか、


旦那さんと暮らしていたことは過去になってしまいつつあるというか。





私の記憶の中で、


昨年の6月3日以降の旦那さんは、まったく動けないし、喋れないし、


記憶はそこで途切れて固まってしまっています。


だけど逆に、私は今も、動けて喋れて、一時々々で変化しています。


この差は、私にとって、多分すごく大きなことです。




もちろん浮気なんてしないし、大好きなまんまだけど、


でもあなたは死んでいて、私は生きているので、


きっとあなたは、今の私にはついてこれません(?)。


諸行無常の悲しさなのか、


でも変わらないことも切なく、変わることも切なく、


私は気持ちの置きどころが無くて、


時々困り果てます。






今日の晩は、旦那さんが亡くなって、初めて麦ご飯を炊きました。


生きていたころは、体に良いから…とずっと麦ご飯を食べてたんですけど、


亡くなってからしばらくは、ご飯すら炊かなかったし、


ご飯炊くようになっても、一食分を炊くだけで、


麦を入れることはしてませんでした。


(少しのお米に少しの麦を入れても、あんまり美味しくないんですよね。)




つい最近、今どきのレンジは性能良いからと考えを変えて、


2食分を一緒に炊くようになりました。


半分は冷蔵庫に入れて置いて、レンチンして食べてます。


そして今日、どうせなら…と、食べずに余っている雑穀ご飯用の麦を入れてみました。




とっても懐かしい味がしました。


旦那さんと一緒に食卓を囲んでいた、あの時の味です。


旦那さんは、私の倍くらいモグモグよく噛んで食べる人だったけど、


そんなことも思い出しました。


麦の味って独特で、食べ慣れると結構ハマるのですよね。


また以前のように、ちょっと習慣にしてみようと思っています。

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