いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

配偶者を失うこと

たとえばニュースで、ご家族…とくに配偶者を事故で失った方の映像が写ると、


たまらない気持ちになります。


今日あたりも、熱海の土石流の報道をやっていて、


もちろんまだ希望は捨てて欲しくないですけど、


ご家族が行方不明の方はどんな気持ちでいるのだろう…と思うと、


ほんとうに他人事とは思えないです。






もし、旦那さんの死を経験する前の私だったら、


災害で家族を失った方を気の毒に…と思う気持ちは、


もちろんその気持ちが純粋でとても優しい感情だったとしても、


たぶん、「同情」以上のものにはなり得なかったはずです。




だけど今、私が報道を見ながら思う気持ちは、以前のような「同情」ではありません。


同じ経験(死別)をしたからこそわかる感情で、


おそらく「共感」と言って差し障りのない感情なのだと思います。


ただ、私の旦那さんは事故死や災害死ではないし、


事故や災害で家族を失うことは、私には経験がないことなので、


もし、そこを大事にされる方から見たら、


今私が言ったことは、不謹慎ということになってしまうのかもしれません。





配偶者を失うことのストレス…というのは、


これは本当に、経験した人にしかわからない感情ですよね。


生きているうちに、こんな感情を(しかも長期間にわたって)感じることがあるなんて、


思いもしませんでした。


人生ってもう少し、(努力すれば)コントロールができるものだと思ってました。


こんなにどうしようもない現実を受け入れなければならない日が来るなんて、


こんな苦行を強いられる日が来るなんて、思いもしませんでした。


人生ってもうちょっと、マシなものかと思ってました。



解決してくれるのは、たぶん「時間」だけなのだと思っています。


確かに去年の今ごろと比べたら、1年後の今、以前よりは少し現実を受け入れています。


そうやって、少しずつ、少しずつ、私は変わっていくのでしょう。


歳を取り、残り時間は少なくなり、押しなべて現実を受け入れる時、


気が付いたら旦那さんの死も、他の事と同様に受け入れているのかもしれません。


そんな受け入れ方でもよいのかも、…と感じています。

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