信じる。
もうすぐ灯油買いに行くのも終わりだなぁ…なんて思いながら、
ガソリンスタンドで灯油を買ってきました。
20ℓを1缶と18ℓを1缶です。
旦那さんが生きているときは、
灯油をストーブに入れる作業さえしたことなかったのですが、
もうすっかり一人で全部できるようになりました。
最初は、「足が悪いから重いの運べないよ。どうしよう」…なんて思ってたけど、
よいしょ、とクルマから降ろして台車に積めば、
松葉づえは片腕に引っ掛けた状態で、両手で押して、簡単にスイスイ運べます。
急に話が飛びますが、
もうすぐ、旦那さんが買ってきてたお米がとうとう無くなります。
私、しばらく自分で炊事はせずお弁当ばかり食べていたから、
旦那さんが買ってきてたお米に手を付けたのは、12月ごろだったかな。
それからも、毎日夕飯分の0.5合を炊くだけだから、
たいした量でもなかったんですが、
少しずつ少しずつお米は減って、
たぶん明日か明後日には、旦那さんの買ってきてたお米は全部、無くなってしまいます。
なんか、そういうのって一番寂しい気がします。
昨年の6月3日以降は、旦那さんは何もできない…、
机の上のペン一本すら動かせないのだから、
時間の経過とともにだんだんだんだん、影が薄くなるのはやむを得ないのですが、
それにしても、使って無くなっちゃうとか、
時間が経って必要なくなっちゃうとか、
そうやって、旦那さんの面影が一つ一つ減っていくようで、
その度なんだか、たまらない気持ちになります。
でも、もし仮に、旦那さんがあの世から帰ってきてこの家に来たとしたら、
結構びっくりすると思うのね。
今でも自分でよくわからないのですが、
旦那さんが亡くなった直後、急に家のあちこちを変え始めた時期があったのです。
たとえば小さな壁掛けを買って飾ってみたり、
家中のタオルをほとんど全部新調してみたり、
いきなりレースカーテンを全部はずして洗濯してきれいにしたりもしました。
レースカーテンは奇麗になっただけだけど、
タオルが変わったり壁掛けがあったり、家のあちこちがちょっとずつ変わっていて、
最初のうち、ふと気が付けば
「旦那さん、帰って来てびっくりするだろな」と普通に思ったりしてました。
そしてそれから、「あ」と思う。
「もう帰ってこないんだ」。
そんなことの繰り返しでした。
だけど、今はさすがにそんな間違いは無くなってしまって。
旦那さんがこの世からいなくなったことは、私にとって100%現実になったけれど、
だから、しょうがないから今度は、
「私があの世に行ったときに必ず再会してまた一緒に暮らす」
ことを100%信じることにしました。
実際には起こらないことかもしれないけど、
だれも、絶対に起こらないとは言えないでしょ。
だから、勝手に信じることにしたのです。
だれも間違いだって言えないし、
別に、私だけ、絶対一緒に暮らせると信じてればいいだけの話だもんね。