いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

13ヶ月前の今日

13ヶ月前の今日、旦那さんは駐車場で倒れました。


早朝だったので私は部屋にいたのですが、


奇跡的にその日、早朝勤務があった隣の人が、


出勤時に旦那さんを発見してくださいました。


そして、その方が呼んでくれた救急車が来て、2人で乗せてもらって、


そこでの会話が、私たちのこの世での最後の会話になりました。




会話と言ってももう、呂律の回らない言葉でしたが。


大丈夫だ、大丈夫だ、と繰り返し言って、


「ころんじゃっただけだから、大丈夫だよ」。


旦那さんの場合だけかもしれませんけど、


脳梗塞って痛みを感じないらしくて、


ただ、(梗塞のせいで)靴が脱げてしまったような感じがあったらしく、


履きなおそうとして転んだ…と言っていました。


自分では転んだだけだと思ったらしかったです。


だけど、靴は脱げていなかったし、


呂律が回っていないことや、右半身がマヒして動かなくなっていることを


彼自身はあの時、気が付いていたのでしょうか。





自分が死ぬかもしれないことを、彼はわかっていたのか、いなかったのか、


もう知る由もない事ですが、


いずれにしろ、病院の救急棟に到着してすぐに、


強い薬を投与されて、意識はそのまま戻らなかったのだから、


たとえ不安や恐怖を感じていたとしても、かなり短い時間で済んだのだと思います。


だからそれだけでも、彼は強運の持ち主だったと言えるのだと思っています。





話は変わって、私自身の事を書きます。


ちょうど1年前になりますが、もうすぐ初めての月命日を迎えるという頃、


私は何を考えていたのでしょうか。


このブログを始めたのは去年の9月ですから、


旦那さんが亡くなって3ヶ月経っていたわけで、


でも逆に言えば、やっとそのころになって、


誰かに何かを訴えたい、聞いてもらいたいと思うようになったのでした。


つまり、去年の今ごろは、そういうことすらも考えられない状態であったわけで、


ただただぼんやりと、思考が半分とまったような状態で、


時間を過ごすしかなかったです。


今でも時々思いますが、よくあの頃を乗り越えたものだ…と、自分自身に感動します。




毎日、決まった時間に起きて、食べなきゃ倒れるから(味も感じない)ご飯を食べて、


決まった時間までに会社に行き、終業ベルが鳴れば速攻で逃げるように帰って来ます。


家ではずっと、寂しくないようにテレビをつけて、ぼんやり時間を過ごして布団に潜り込む。


延々その繰り返しをしていました。




仕事をしていれば思い出さなくて済むから都合がよいのだけど、


でも、そういう時期に他人と過ごすのは、


治っていない傷に塩を塗り込まれるようで苦痛でしかなく、


ほんとうに、終業時間を待って走り出るように、職場を離れて帰路に着いていました。


自分の生活や人との関係が、以前と変わりなく営めるようになってきたのは、


確か、半年超えたくらいだったと思います。



こうやって思い出してみると、


傷はまだまだ癒えてはいないが、


ここ1年の辛さを思えば、何でもできるような気がします。

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