ストイック …足るを知る…
オバサンくらいの年齢になって来るとさ、
だんだんいろんなことがわかってくるのよね。
(わかってくる…と言っても、知らないことはまだまだたくさんあります。
でも、私が若かった時よりは、ずいぶん経験や知識を積んで、
今や立派なオバサンになったということ。)
足るを知る…って、とっても大事なことだと思うのね。
ネットで意味の詳細を調べてみたら、
とっても素敵な文章を見つけました。
『「足るを知る」は、物質的な満足感だけを指すものではありません。実際に物品や財産を持っていなかったとしても、自分が置かれている現状に満足し、周りへの感謝を忘れないという心の豊かさも例えた言葉です。
そのため、今ある状況を受け入れることで内面の豊かさや幸福感を得られる、という意味で使います。今の状態を物足りないと感じて必要以上のものを求めるのではなく、小さなことにも感謝を忘れない気持ちの在り方を表しています。』
オバサンも、若かった頃は、
こんなことは露ほども考えませんでした。
むさぼる様に、いろんなものを得ようとした。
物質も、知識も、立場も、そして精神的な落ち着きさえも。
どうにかして現況を打破したかった。
現時点の自分を受け入れるということができなかったから。
貧しい自分(心も)、無知な自分、みじめな自分、そんな自分が嫌だった。
それは、自己否定の感情を生むことへも繋がり、
そしてその果て、私は自分の欲求(生きること)さえ否定するようになりました。
生きること…。
食べること、性欲、眠ることさえも、それらを欲する自分を醜いものとした。
そしてそれが、「ストイック」=「美」と捉える姿勢にもつながったのです。
若い頃の私は、食に問題がありました。
生きることを直視できない私には、
食や睡眠や性欲や、そういう一次的な欲求さえも醜いもので、
その中でも一番わかりやすいし、やりやすい自分の食欲を否定したんだと思います。
つまり食欲を否定することが、私の場合、生きることを全否定することでした。
その象徴として、拒食という行為があったわけです。
(今となっては、もう少し拒食をして体脂肪を減らしたいと切なる望みだけはあるのですが…笑。)
その後社会に出て、それこそ「生きること」に必死にならざるを得ず、
気が付くと、いつしかそんな症状も収まり、現在があります。
そして今、それらの欲求を私自身がどう感じているかと言えば、
それが「足るを知る」ということなのだろうと。
ストイックってね。
今の私の考えを言わせてもらえば、
自分の欲求そのものを否定することじゃないんだと思うのよ。
足るを知ることなんだと思うんです。
たとえば一次的な欲求の事を言えば、
自分の身体や本能が欲するのをやめたら、そこでその行為を停止する。
(若い男の子がセックスのことばっかり一日中考えてるのも、身体が欲するのだから全然かまわないと思うのよ。若い子なんて、それがあるから大人の男になれるんでしょ。)
そのかわり、感情や考えが欲するものには手を出さない。
その延長上に、
自分の高次的な欲求とどう向き合うかということや、
自分の置かれている状況に満足すること、
必要以上のものを求めるのではなく、小さなことに感謝を忘れない気持ちを持つこと、
等が生まれてくるのだと思います。
そしてそれが、ストイックな生き方ということなのだろうと、今の私は考えています。
だから、貴方がもしストイックな生き方を禁欲と同意義、と捉えているなら、
それは、もしかしたら、若さ故…ということかもしれませんね。
生き物が、生きるための自分の欲求を全て否定するとしたら、
それは傲慢以外の何ものでもないと、今のオバサンは思うわよ。