以前の生活が戻ってきた感覚がちょっとあります。
昨日で、とうとう今までの拠点での仕事が終わりました。
昨日は朝の通勤途中からずっと、旦那さんの事ばかり考えていました。
「この道路を通勤している途中で、私は何回泣いただろうか。」…なんて、
ひとつひとつ、考えてしまっていました。
今日で、良きにしろ悪しきにしろ一つのフェーズが終わってしまう、
その心構えは充分にできているのか、
思い残すことはないのか。
箱に閉まって封をする前に、もう一度ちゃんと確認をしておかなくちゃ。
そんな思いで、あったことを思い出したり、その感覚を思い出したりしていました。
通勤の途中に、私は何回泣いただろうか。
何回どころじゃない、旦那さんが亡くなってから1年未満は、
ほとんど毎日、バイパスから海を見るたびに、泣けてきていました。
海沿いの駐車場にクルマを停めて、この海を何度一緒に見たことだろう。
ふたり並んでくっついて、いつ見てもよい景色だねぇ…なんて言って、
そんな幸せな時間が、いつまでもずっと続くと信じていました。
だけど、続かなかった。
以前ふたりで見た海を、ひとりきりで見るなんて悲しすぎて、
旦那さんが亡くなって以来、その駐車場にクルマを停めることすら避けています。
職場に着けば、
今までに何度、旦那さんを思い出しながらこの建屋を見上げたかな、なんて思います。
毎日仕事が終わった帰り、職場から出てきて、ふと現実に戻った時、
建屋が視界に入る瞬間と、旦那さんを思い出す瞬間がいつも同じだったから。
トイレに入れば、…その白い個室の中で何回私は泣いただろう…なんて、
やっぱり考えてしまいます。
…そんなことばかりを思っていた一日になりました。
異動の準備に、机やロッカーの荷物は一度すべて家に持ち帰ったので、
今日は一日、その整理をしていました。
それから夕飯を作って、その一部を明日のお弁当のおかず入れに詰めました。
ほんとだったら明日の朝やればいい事なんだけど、
まだ感覚を思い出せなくって、今日のうちにできることは全部やっちゃいました。
とりあえず明日の朝は、
お茶をポットに入れたり、炊けたご飯を詰めたりするだけにしてあります。
旦那さんが亡くなって以来、
一度も使ったことのなかったお弁当のケースを出したり、
朝にご飯を炊くことなど、
2年弱ぶりにやり始めたことがあって、
また少しずつ、生活が戻ってきた感覚があります。
だけど、それが嬉しい事なのか、寂しい事なのか、さっぱりわかんなくって、
気持ちが付いて行っていないところがあったりしています。