他虐(造語)(9)
昨日の記事「話した理由」の最後のところ、さっき書き換えました。
訂正前は、別のこと書いてたのです、
「34歳の時に死のうとした私だけど、今ちゃんと楽しく生きてられるんだから、
あなたも大丈夫よ」と彼に伝えたい………的なことを書いていたのだけど、
さっき読み返して、「なんか、違うなぁ」「そんな奇麗じゃないなぁ」と思ったから。
ほんとに、そんな奇麗ごとじゃないんだよね。
私にとってもまだ、自殺に至る経緯を「過去に起きた 100% 解決事案」とは言い難いところがあるし、(もう自殺未遂は流石にコリゴリだけど…。)
未だに私は自分のこと、現役のマイノリティだと思ってるし、
だから私は、同じくマイノリティの彼を欲したのだと思うのです。
だけど!
だけど、だけど!
誓って言うけど、決して傷の舐め合いをしたいわけじゃないし、
マイノリティ同志身を寄せ合って、外敵から身を守りたいわけじゃありません。
私、旦那さんが居なくなってからは特に、いつも一人でいろんなことに対峙してきたから、そんなのは言ってしまえば慣れっこです。
傷は自分で舐めて治すし、外敵に対してはちゃんと1匹で(?)ハリネズミになる。
悲しいけど、そんな事にはこの3年でとっくに慣れました。
確かに、34歳の彼(と私)に比べたら、今の私は多くのことを経験しています。
だからそのぶん打たれ強いし、苦しみや悲しみも乗り越える術を知っています。
自殺未遂をするほどの弱さを持ちつつ、今はほぼ普通に社会生活を送れているわけだし、
旦那さんの死…あの苦しみ…を乗り越えられたことでも、
私は強くなった、と、自覚があります。
つまり、自信よね。
死別された多くの方がそうであるように、私もまた、
あの苦しみを乗り越えた…ことで、自分を信頼する気持ちが強くなりました。
だから、そういう意味では、私は34歳の私ではない。
そして同時に、34年の経験しか持たないリフジン様よりもたぶん、幾分かは経験値が高いんだと思います。
だから、愛おしい気持ちがある、
過去の自分に対しても、リフジン様に対しても、守ってあげたいという気持ちが強くある。
だけど。
愛おしすぎて、絞め殺してしまいたいと殺意を抱く私もまた実在して。
…絞め殺したい相手はリフジン様なのか、それとも本当は、私自身なのか。
私は本当に、あの美しい青年を絞殺したいのか、
確かにその死体もまた美しいような想像はあるのだけど。
汚れていない、穢れのない青白い彼の死体を思い浮かべてみたりはするのですが、
実際には「窒息死体の一般所見のほかに,顔面のうっ血,腫脹が強く,眼の結膜や顔面皮膚に著明な溢血点がある。」のだそうで。
ある意味、興醒めです。
私、本当は私自身を絞め殺したいのかもしれません。
私の本能が、それを私に見せまいとブレーキをかけ、像はリフジン様になっているのかもしれません。
他虐(造語)は結局、自虐だったのかな。
よくわからないけど。