いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

他虐(造語)(9)

昨日の記事「話した理由」の最後のところ、さっき書き換えました。


訂正前は、別のこと書いてたのです、


「34歳の時に死のうとした私だけど、今ちゃんと楽しく生きてられるんだから、


あなたも大丈夫よ」と彼に伝えたい………的なことを書いていたのだけど、


さっき読み返して、「なんか、違うなぁ」「そんな奇麗じゃないなぁ」と思ったから。




ほんとに、そんな奇麗ごとじゃないんだよね。


私にとってもまだ、自殺に至る経緯を「過去に起きた 100% 解決事案」とは言い難いところがあるし、(もう自殺未遂は流石にコリゴリだけど…。)


未だに私は自分のこと、現役のマイノリティだと思ってるし、


だから私は、同じくマイノリティの彼を欲したのだと思うのです。




だけど!


だけど、だけど!


誓って言うけど、決して傷の舐め合いをしたいわけじゃないし、


マイノリティ同志身を寄せ合って、外敵から身を守りたいわけじゃありません。


私、旦那さんが居なくなってからは特に、いつも一人でいろんなことに対峙してきたから、そんなのは言ってしまえば慣れっこです。


傷は自分で舐めて治すし、外敵に対してはちゃんと1匹で(?)ハリネズミになる。


悲しいけど、そんな事にはこの3年でとっくに慣れました。




確かに、34歳の彼(と私)に比べたら、今の私は多くのことを経験しています。


だからそのぶん打たれ強いし、苦しみや悲しみも乗り越える術を知っています。


自殺未遂をするほどの弱さを持ちつつ、今はほぼ普通に社会生活を送れているわけだし、


旦那さんの死…あの苦しみ…を乗り越えられたことでも、


私は強くなった、と、自覚があります。




つまり、自信よね。


死別された多くの方がそうであるように、私もまた、


あの苦しみを乗り越えた…ことで、自分を信頼する気持ちが強くなりました。




だから、そういう意味では、私は34歳の私ではない。


そして同時に、34年の経験しか持たないリフジン様よりもたぶん、幾分かは経験値が高いんだと思います。


だから、愛おしい気持ちがある、


過去の自分に対しても、リフジン様に対しても、守ってあげたいという気持ちが強くある。






だけど。


愛おしすぎて、絞め殺してしまいたいと殺意を抱く私もまた実在して。


…絞め殺したい相手はリフジン様なのか、それとも本当は、私自身なのか。




私は本当に、あの美しい青年を絞殺したいのか、


確かにその死体もまた美しいような想像はあるのだけど。


汚れていない、穢れのない青白い彼の死体を思い浮かべてみたりはするのですが、


実際には「窒息死体の一般所見のほかに,顔面のうっ血,腫脹が強く,眼の結膜や顔面皮膚に著明な溢血点がある。」のだそうで。


ある意味、興醒めです。




私、本当は私自身を絞め殺したいのかもしれません。


私の本能が、それを私に見せまいとブレーキをかけ、像はリフジン様になっているのかもしれません。


他虐(造語)は結局、自虐だったのかな。


よくわからないけど。

×

非ログインユーザーとして返信する