いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

分かれ道(別れ道)

今日は、昨年お世話になった急性期病院への通院日でした。


リハビリテーション病院を退院して以来、5回目の通院です。




執刀してくださった先生も、この3月で異動になり、


今月からは、まったく知らない先生の診察になりました。


第一傷はもうほとんど固定してすっかり癒えているし、


経過観察はもう必要なしということなのか、


その先生からいきなり、「今月で診断書書きますから、来月から地元のお医者さんに診てもらってはどうですか?」と提案を受けたのです。



急な話に少しびっくりし、でも、自分でも意外な返事を先生にしていました。


「少し心配なので、切りの良い負傷後1年の7月まで、この病院で診て戴けないでしょうか」。




退院して5ヶ月経ち、心配など何もないのです。


骨折部位は順調に回復しています。


実際少し不安があるのは、折れたほうの膝を床に付く時くらいかな。


それも、痛みなどは全然なく、ただ少し違和感がある…という程度のもの。


(骨折部にボルトが入っている関係で違和感はどうしても残るため、全体重を膝に掛ける勇気と度胸はありません。)


なので強いて言えば、心配は、また転んで骨を折ったら困るわぁ、ということだけです。


でも、もしもヤッちゃったら、その時はまたリフジン様の病院に入院するだけだから、いいけどね。


(だけどその前に、仕事は潔く辞めるようです。さすがにこれ以上、職場に迷惑は掛けられない…。)




なので、心配だからもう少しこの病院で診て欲しい…などというのはクチから出まかせ、真っ赤なウソ。


つまり、この病院でもう少し…と言ったのは、縁が切れるのを嫌ったためです。


………だけど、何の縁?






担当医は、次回の予約日は来月ではなく、最後にもう一度来ればよいように、受傷日1年後の7月末に受診の予定を組んでくださいました。


要するに、隣の県からはるばる来るのは大変だろうということで。


だけどそれは却って、私の気持ちを寂しくさせました。





帰りがけ、病院の外へ出てから12階建てのその建屋を見上げるわけです。


すると不思議に、その病院で在った事だけではなくて、受傷からリハ病院退院までの一連の出来事が、その風景に重なって見えました。


去年の7月から11月までに起こった全部のことが走馬灯のように思い出され……。



でもそれは全部、今となっては、過去のことになってしまいました。


全部が全部、この間散ってしまった桜の花のように、


もうまったく手の届かないものになっちゃいました。





やっぱりちょっと、涙が出ました。


でも、なんとか、私の心の中で「終わった事」にできたのかもしれません。


やっと、さようなら、できるのかもしれません。

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