いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

見なくてよいのに見てしまいました。。。。

何故なのか、自分でよくわからないのですが、


見たら悲しくなり落ち込んでしまうとわかっているのに


なぜ見てしまうのでしょう?


昨日ついつい、旦那さんが倒れる前の日に私がつけた家計簿を見てしまい、思い出して寂しい悲しい思いに囚われてしまいました。







以前テレビで、亡くなられたお嬢さんの遺品をすべて処分したお父さんの話…ドキュメントを視聴したことがあります。


思い出したくないから、悲しい思いをしたくないから、という理由で、お嬢さんのものを確かすべて燃やしてしまった、という実話でした。


(お嬢さんは絵を描く人だったらしいですが)作品もすべて燃やしてしまったそうです。





旦那さんがいなくなってまだ1ヶ月もたたないうちにそのドキュメントを見て、私は深く深く考えさせられました。


テレビのお父さんの行動が是か非かなんてことはどうだってよいのです。…と思います。


ひとそれぞれ。自分が思うようにすればよいのだし、それを他人がどうこう言えることではないと思います。悲しいから見たくない…。私にも、痛いほどよくわかる気持ちです。


だけど、どうなんだろう?


後悔しないのかしら?


燃やしてしまって捨ててしまったものは、もう二度と手元には戻りません。


わが子の思い出をすべて燃やしてしまったお父さん、あとで後悔しないのかしら?




…難しい問いだなぁ、と思います。


毎日の日常の事だけを考えていて済むなら、思い出して辛い思いをせずに済むなら、今の私は本当に楽になるでしょう。


流した涙は何百㏄になるのかしら?なんてヘンなことを思うほどで、この5ヶ月間に何度泣いたか、時間にしたらどのくらいの時間泣いていたのかわかりません。


こんなに泣いたことは、かつてないし、おそらく今後、今ほど泣くことはもうないでしょう。


だけど。悲しい思いを避けるために、愛する人の思い出の品を全部捨ててしまったら。


私だったら、あとで冷静になった時に強く強く後悔してしまいそうな気がします。






話を戻せば…。


見てしまった家計簿には、旦那さんが倒れる前日に私が買った品物が書いてありました。


今から思えば、そのころ少し体力が落ちていたのだけど、「今夜何食べる?」の私の問いに、「焼いた肉」と答えた旦那さん。


彼は彼なり、肉でも食べて元気になろうと思ったのか、それとも少し調子が良くて食欲があったのか。


その日休みだった私は買い物に出て、夕飯用に豚肉と、サラダにしようとセロリやキュウリを買いました。


讃岐そばのチェーン店に寄って、昼ごはんのおそばに入れるてんぷらを買おうと思ったのですが、店に入って、コロナ禍のもと持ち帰り用のおそばを売っているのが目につき、てんぷらそばを2人分買って帰りました。


そばは素そばが好きな旦那さんでしたが、栄養考えて旦那さん用に海老天とゆでたまご天を買いました。昼に出したら意外に全部食べてくれて、夜は豚肉のソテーを良い加減食べてくれて、よかった食欲出てきたのね…とほっとしたのを覚えています。


残ったソテーとサラダを明日の昼にでも食べようとタッパーに入れて冷蔵庫にしまったけれど、結局食べることはありませんでした。

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