いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

9.11

9.11から20年経つそうですね。


あっという間でちょっとびっくり。


……だけど、3.11からも10年経ってしまったのだから、


ビルが崩れていく驚愕の映像が流れたあの日から、20年経つのもうなずけます。




9.11で旦那様を失った日本人女性のことが、テレビで放映されていました。


旦那様はツインタワーの80階?で働いていたそうで、


彼女には3人の子供たちが遺されたそうです。


しかも3人のうち1人はまだお腹の中にいたのだとか。


彼女はその後20年、異国の地で、女手一人で子育てをしながら生活してきたそうです。


どんな思いで暮らしてきたのだろうと思うと、


本当に頭が下がる思いがしました。




20年経っているのだから、お子さんたちももうすっかり大人になっているわけで、


そのうちの一人がテレビに映っていました。


フツウに日本語を話す、なんだかどこにでもいそうな男の子で、


お母さんをちょっとからかうような様子から、


仲の良さを想像させるようなシーンがありました。




彼女自身の心の中には、


「笑って明るく生きて行こう」という決意があったとか。


お子さんたちはさぞかしお母さんの笑顔に安心し、


支えられたのではないでしょうか。




旦那様が急に死んでしまって、


知らない国で女性ひとりで、子供3人を育てる生活。


想像するのも失礼だけど、


もしかして、悲しんでいる時間などなかったのではないかしら。


そして、苦労の多い大変な生活の中で、育っていく子供たちの姿を見て、


喜びや生きがいを得ることのできる生活…?


(もちろんそれだけではなかったでしょうけど)。


彼女の半生って、喪失感や生活に大変な20年だっただろうけど、


同時に、“充実感”とか”必要とされてる感覚” が感じられた20年だったかもしれないな、


なんて、ちょっと勝手な想像をしてしまいました。





こういうことで、他人と自分を比べるのはナンセンスなことだとわかってはいるのですが、


ついつい、今の自分の空っぽな人生と比べてしまいました。


少しばかり知っただけで他人の人生を想像するなんて、失礼を百も承知の発言ですが、


ちょっとうらやましいなと思ったりもします。


そして同時に、


今の私に欠けているものは、まさに、


“充実感”とか、”人から必要とされること” なのだということに、


あらためて気づかされた一日となりました。

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