諦めの秋
休みだったので、一日のんびり過ごしました。
のんびり…というと良い響きですけど、ぼんやり、かもしれません。
また例によってミシン掛けなどして、なるべく喪失感を感じないように過ごしています。
何かに夢中になっている時、没頭している時は思い出さずに済むもので、
そのツールとして始めたミシンでしたが、
我ながら上手になりました…とは言わないけど、
ミシン掛けには慣れて、ものを作るのがなかなか早くなりました。
旦那さんが生きている時にミシン始めてたら、いろいろ作ってあげられたのにな、なんて思います。
野太い感じの風貌のくせに、いきなり可愛いらしいものが好きだったりするので、
小さなポーチでも作ってあげたら喜んでくれたかな、なんて想像してます。
亡くなってしばらくの間は、
休みの日に家にじっとしているのが嫌で、(というか、じっとしていられなくて)、
あちこち出かけたりしていましたが、
最近は休みの日は、逆に家にじっとしていることが多くなっています。
なんだか、喪失感が少し心の底のほうに沈殿してしまって、
「私の人生なんて、(どーせ)こんなものだ」と
諦めの気持ちが強くなったという感じ…かもしれません。
(どーせ)こんなものだから、やみくもに、刺激とか喜びとかを求めなくなった。
…そういうことなのかもしれません。
寂しいけれど、季節に例えれば、
楽しい夏が終わって秋半ば? 晩秋に入りかけ? という感じでしょうか。
でも、もっとほんとにちゃんと諦められたら、
もう少し楽な気持ちになるのでしょうけどね。