いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

割り切る

生協のカタログの中に、来年のカレンダーを見つけました。


「ひゃぁぁ! 2022年だって!」。


早いものです。


来年になれば、旦那さんが知っている私より、2つ歳を取ります。


(また目尻のシワが増えます。)


毎年少しずつ、


旦那さんが知っている私から、だんだんだんだん歳を取っていきます。


いずれそのうち、まったく別人のようになってしまって、


あの世で再会しても、私のことがわからなかったりするのじゃないかしら。




逆手に取れば、死ぬって最強ですよね。そこから絶対歳を取らないのだもの。


いつまで経っても、旦那さんはあの時のままです。


それに引き換え、生身の私は、少しずつ少しずつ歳を取ります。





来年…2022年は、いったい何が起こるのでしょうか。


考えてみれば、旦那さんが亡くなったのは昨年の6月ですので、


まだコロナが始まったばかりと言うか、全然いまのようではなかったから、


私の中では何となく、コロナ禍 = 私ひとりの生活 という印象があります。



本当は旦那さんが元気な頃も、


そろそろマスクやアルコールが不足してみたり、それなりに危機感はあったのですが、


まだ、それなりの危機感、でしかありませんでした。



だから私の頭の中で、


コロナ以前の生活は、旦那さんと一緒の生活で、


コロナにおびえる生活は、私一人の生活…と、くっきり分かれちゃっています。


ですからもしかしたら、


家族が亡くなったことによる生活の変化は、普通の場合より大きいかもしれません。


だけど逆に、その悲しみを割り切ることは、却って比較的容易なのかも…とも思います。


過去の楽しかった夢のような生活と、


現実の厳しい娯楽の少ない生活とに、すっかり二分されちゃっているぶん、


過去は過去、今は今…と、切り離し易いし、割り切り易いのかもしれません。


それってなんだか、悲しいけどね。

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