いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

ひとつのフェイズ

趣味の会が終わりました。


びっくりするほど大勢の方たちが来てくれました。


みんな、コロナによる足止めでフラストレーション溜り気味だったのでしょうね。


主催側としては、「コロナだからあまり人数集まらないかも」という予想を、


思いっきり良いほうに裏切ってくれて、


コロナ禍前の倍くらい集まりました。


蜜を避けるために広い会場を用意していて、超ラッキーでした。





会が始まって少しして、壇上の人の話を聞きながら、


膝に抱っこした陶器のペンギンをさすっているうちに、


思わず涙が出てきました。


あなたはこの雰囲気が好きだったんだよね。


いつも本当に嬉しそうにみんなの話を聞いてたっけな。




そしたら、参加者の一人が私のところに来て、


ニコニコしながら天井を指さし、


「あなたの旦那さんは、今ココラヘンにいて、


みんなの話を聞いてますよ、きっと。」と、彼を懐かしんでくれました。






コロナを避け、台風を避け、今年の趣味の会も無事終わりました。


みなさんとても喜んで、楽しんでくれました。


でも結局、旦那さんの事を惜しむ話を私にしてくれたのは、上記の彼ひとりきりで、


月日が経ってしまった事を痛切に感じます。


もし、もう少し前にこの会が開かれていたとしたら、


多分、違った形になったろうと思います。


もうちょっと、彼を懐かしむ言葉が聞かれたり、


壇上の人も彼の話をしたり、


私達を慰めてくれる人も居たはずで、


2年って短いようで長いのだなぁ、と寂しく実感しました。






そして無事、彼が大好きだった趣味の会が終わったことで、


旦那さんの死についても、ひとつのフェイズが終わったような気がしています。


なんか上手に説明できないのだけど、


私自身がどう感じているかは別として、


少なくとも私の周りの人たちは、


私を、「片割れを失った人」として見ることは、もうほとんどなくなるな、と思うのです。


それは、今日の趣味の会でもそうだし、


職場でも私は素性を皆に話していないから、同じです。




普通にひとりの単身女性として扱ってもらえるのは嬉しい気もするし、


少し寂しい気持ちもあったりしています。

×

非ログインユーザーとして返信する