いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

心が、からっぽ。

失恋という形になってから、まだ9日しか経ってないのがちょっと不思議です。


それに、「失恋という形にした」のは私で、しかも勝手にそういう形にしたのは私で、


イケメン君から見たら、別になんてことないんだと思う。


少し良心傷んでるかもしれないけど。






あれからずいぶん、時間が過ぎたような気がする。


まだ10日も経ってないのに。


でもね、少しずつだけど、時間が経過しているのは感じるんです。


私の感じ方…彼に対する感情…がちょっとずつ変わってきてる。


ネット上の誰かの文章で、失恋の辛さって、半月か1ヶ月くらいで変わってくる、と書いてありました。


それが本当かどうかはわからないけど、


確か、私のひとつめの失恋で、気持ちが楽になったのは、ちょうどそのくらいだったの。


だけどあの時は、イケメン君(リフジン様)がカブッてるからなぁ。


リフジン様とのサディスト事件以降、



ひとりめの想い人のことは、どこかにすっ飛んじゃったから、


あの事件以降はもう、ひとりめの失恋は苦しみの内には入ってません。





現在、9日経ったところで、私の気持ちがどう変わったかと言えば、


喪失感がとても強くなってきました。


あの日、「わかった。今までどうもありがとう。」と、私から縁を切ってしまったわけで、


だからもう、彼との接点は無いわけで、


だけど、なんとか、自分の記憶や考え方をこねくり回して、このブログに発信して、今まで気持ちを繋げてきたの。


つまり、このブログが唯一の接点でした。


別に、このブログを彼が読んでいるわけじゃないけどね。


だけど、私からイケメン君について発信をすることで、少なくとも「無」ではなかった。




でも、なんだかここのところ、今度の恋についてはいろいろ御託を並べてるから、


今日はこのブログ、お休みにしようかと思ったんです。


そしたら急に、強い喪失感が襲ってきて、心が「からっぽ」なことに気が付きました。


そして、自分の孤独を思い知りました。




だから、今日も書くことにしたんです。


自分の「からっぽ」な気持ちと孤独感から逃げるために。



もうリフジン様とは繋がってはいないけど、そしてもうたぶん、一生会うこともないけれど、


だけどこうやって発信をすることで、私の心は「無」「からっぽ」ではなくなるので。


すみません、読者の皆さんももう少しだけ、お付き合いくださいませ。




p.s.


「彼との接点はもう無い」と書いたけど、


それはウソです。


彼もそう言ったように、私が病院に電話すればいいだけなの。


そしたらたぶん、以前と変わりなく、楽しく話ができる筈なんだ。





それをしない理由はいくつかあって、


まず、私の担当だった3人の先生のうち、彼はそのリーダーではないこと。


だからもし私がリハ室に電話して、いきなり彼を指名するのは、


リーダーさんに対して失礼で、ちょっとできないなぁと思っちゃう。




ふたつめの理由として、


リハ室に電話して、彼と何を話すの?って思っちゃうのです。


自主トレの話とかは今さらだし、そんな話したってしょうがないでしょ、私もうすっかり歩けるんだから。


それに仕事中、時間に追われている彼に、「今度どこかでお茶しようよ」とか言うのって勇気居る。




みっつめの理由として、これが一番大きいかな、


そんな関係性、電話を2回か3回したら、あとはもう切れちゃうよって思うから。


だから、そんな関係性なら、無理だし要らない。




最後、よっつめの理由は、私の意地です。58歳オンナの意地。

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