いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

あの苦しみ

職場で少し落ち込むようなことがありました。


…というか、私のものの考えよう、とらえ方の問題です。


私の今の仕事場は小さな事業所なのですが、


事務員は私ひとり。ほかの職員はみな、


お客様と直接かかわる仕事をしています。



要は、お客様の顔が見えないのは私だけ。


なのでどうしても、専門的な話に私はついていけないところがあって、


前々から悩みの種ではあるのですが、


昨日も何だか、話にチンプンカンプンになってしまって、落ち込みました。




こういう時って、事実と、自分の思っていることの乖離に気が付かなくなってしまいます。


みんながひとりのお客さんのことで話が盛り上がっているのを、


自分だけがはじかれたように感じてしまう。


そして私は、はじかれたことが実際に起こったことだと、思い込んでしまっているのです。




今は少し時間が経って、冷静になっているから客観的にそう捉えられるのだけど、


そう考えなおすまでに、少し時間がかかりました。






でも、そういう時に私が使う、必殺の隠し技があります。


旦那さんが亡くなってしばらくの間続いた、あの苦しみを思い出すことです。



あの苦しみを私は乗り越えたんだから、


だから、何が来たって怖くないわよ、大丈夫よ。…と


私は私に言い聞かせるのです。


言い聞かせる、というと、語弊があるな、


あの苦しみを思い出せばすぐ、私の思考回路はすぐ自分にOKが出せる、というか。




「大丈夫、大丈夫だよ、私は生きていける」。


「何があっても生きていける、私はあの苦しさを超えたんだから」。




私の中で、旦那さんを失ったことが、今までの人生の中で一番苦しい出来事だったから、


そして、私はそれを、自分自身の力と意思で、友人の助けを借りて、そして環境に恵まれて乗り越えることができた。


今は、今後それを超える苦しみって想像もつかないから、


だから、それ自体が私の中で、一番大きな「自信」へとつながっている。




つまり、


あの地獄絵図のような、


見渡す限り視野の中に、荒れ地ばかりで一本の草木も生えていないような状態…というか、


たぶん自分は今後一生、ほんの小さな希望や安らぎも得ることはできないだろうとしか思えないような、


あの喪失感が、あったからこそ。






私に、大きな、大きな、大きな、大き~~~な、


デッカイ自信をくれたのは、


他でもない、旦那さんだったというわけです。




すっごいプレゼントでしょ。


これ以上のプレゼントって絶対、ない!と思います。



だから私は旦那さんからの、このデッカいプレゼント、「自信」を小脇に、


これからも生きていけるんだと思います。


まっすぐ前向いて。


時に苦しくとも決してへこたれずに。




ありがとう! 旦那サマ!


今日、あたしがあるのは、全部あなたのおかげだよ!!

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