いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

心がヨロヨロ。

今日をもって、ボランティアのお仕事が終わりました。


先日お話ししたメモ作成のお手伝いです。


まだメモ自体は完成していないから、もう少しパソコンとの格闘は続くけど、


でも、今日で会議の聴講は終わり。


もう、ZOOMでいろんな人たちが口角泡を飛ばす姿を見るのも、


また1年先までお預けです。


(多分、また来年参加できる。)(誘ってくれるかな。でもきっと大丈夫)
(だって今はオンラインで済んじゃうから交通費掛からないんだもん。)




リフジン様に会えない寂しさを、


ずっと、この2週間を楽しみにすることで、自分をごまかしてきたのね。


参加の誘いを受けたのが10月末で、まだ入院中だったから、


そこらへんからリフジン様関係(?)いろいろあったけど、


でも、自分でもうまいこと、気持ちを散らせてきたと思う。




参加を約束してるから、どこか気持ちが張り詰めたとこあって、


今から考えれば、ある意味自分をキープできてたんですよね。


なんとなく人間って”責任”ができると、シャンとするじゃないですか。


ああ、2月に予定があるから、それまではちゃんとしてなきゃな、みたいな。




だけど今、それがなくなってみると、


なんだか、支えを失ってしまったみたいで、


今日、16時に会議が終わった後、しばらく机に座ったまんま、ぼんやりしてました。



片方のメモ作成の役割と、


もう片方の、リフジン様と。


両方の杖を失ったみたいで、心も今、ちょっとヨロヨロしています。




でも、もうずいぶん、私の頭の中にリフジン様は登場しなくなったんですよ。


(昨日と今日は、メモのためにウォーキングもお休みしたんですが)、


最近は、歩いていてもだんだん思い出す時間が減って来たし、


今日なんか、昼過ぎまで一度も思い出さなかったんです。




もうすぐ、会えなくなって3ヶ月経つんだものね、


最後の別れの日からもうすぐ2ヶ月だし、


そうやって、人間って、忘れるんだね。


いろんなこと。


良いことも悪いことも。


ふっと思い出しても、それって「過去に知ってた人の思い出」としてだしさ。




だけど、3月に、彼の勤めてる病院のある街に、


コンサート聴きに行く予定があるんです。


もちろん、彼と行くわけじゃないよ。




和太鼓を演奏する若い男女のグループのコンサート。


その街にはよく、そのグループのコンサートが来るらしくって、


入院中、初めて知って、ユーチューブで聞いていてファンになって、


彼とサヨナラしたあの日、今から2ヶ月前に、


あの街で、帰りにコンビニに寄ったらコンサートのチラシを見つけたのです。




若い男性たちが勇壮に和太鼓を叩く、それがめちゃくちゃカッコよくて。


しかも半裸で。(←ここらへんか?)


打楽器演奏的にもちゃんとしっかりしてるから、聞き応えは十分です。


だから今、彼らのCD買って、ちょっとミーシャはお休みして和太鼓ばっかり聞いてます。




だから3月に、あの街にまた行くんだ。


だけどもう、あの病院には寄らないし。


会いにも行かないつもりだよ。



もう、あの人は過去に友達だった人だもの。


たぶんもう二度と接点は無いはずだしね。(←でもちょっと未練タラタラ感。)

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