マイノリティ(1)
私は、かなり幼い時から、
自分はマイノリティだという感覚を持ちながら育ちました。
小さいころは、それは一種の優越感でもあったと思います。
家族関係の不和に苦痛を感じながら、一方で、
自分はいくつかの点で周りとは違う、
私は選ばれている、私は他人より秀でている…と根拠もなく信じ込んでいました。
だが、周りの大人たちは、無責任に私を誉めそやしたし、
私自身はそれを疑わなかった。
実際その評価が真実だったのか、あるいは幼い私の思い込みと勘違い………によるものだったのかは、今となってはわかりませんが、
ともかく、ひどく高慢ちきな少女だったと思います。
そしてそれから少し大きくなると、それが一転、深い劣等感に変わってゆきました。
今、思い返してみると、元凶は もともと持っていた“劣等感” のほうにあったと思います。
周りが求める "私” と、”本当の私” は全く異っているように感じられて、
自分を責める気持ちが強かったし、
" 小さな " " 能力のない " 本当の自分を知られてしまうのが怖かった。(誰も私に、何も求めてなんかいなかったのに。)
周りの他人は私に、もっと優秀でもっと知的で、もっと快活な私を求めているように感じられて、
その要求に足りない自分を責めたし、満点でない自分を蔑みました。(ありのままではいけないと、誰ひとり私に言わなかった筈なのに。)
そしてそのころから、私には、
少しでも不安がよぎるとすぐに口を噤み自分を隠そうとする習慣がつきました。
なぜ、私はこうなんだろう。
なんて私はダメな人間なんだろう。
私が生きていくためには、そんな強力な負に向かう感情を、他の何かの力でカバーする必要があったのだと思います。
そしてつまり私の場合、「私は他より優れている」という、思い込みor勘違い が根拠であるところの ”優越感” が、その力になっていたんだと思うのです。
どちらにしろ私は少数者でした。
いま目の前にいる人とは、高い確率で、分かり合えない。共感できない。
私は自分を他から防御するために無口になったし、
同じ理由で、物事を斜に見るようになりました。
そして、その寂しさと孤立感が、現実逃避の方法の一つとして、
私を酒へと向かわせました。