いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

話すことができました

昨日の記事、実はずっと思っていたことで、


でも話す(…書く?)ことができなかったことです。


旦那さんの不安や恐怖に気づいてあげられなかったことが申し訳なくて、


自分の勘の悪さというか、バカさ加減が悲しくなるし、


思い出すたびに「ごめんなさい、ごめんなさい」とぐちゃぐちゃに涙が出てきてしまっていたことでした。



なんだか文字にしてしまって、現実にあったこととして認めるのが嫌だったのです。


やってしまった罪が確定してしまうような気がして。


自分の至らなさ愚かさを認めてしまうようで嫌でした。


でも、言葉や文字にしないこともまた、それなりに苦しかったです。




一度だけ、友人に話したことがあります。


その友人は『それは、あなたに「大丈夫だ」と言ってくれたんだよ』と励ましてくれました。


そして私は、その言葉を一時期信じようとしたけれど…。


私ももし彼女の立場だったら、同じことを言って励まそうとするだろうなぁ。


どう考えたって違うんだよねぇ、あれは旦那さんが自分自身に言っていた言葉です。





でも、ここで話せて、少しだけ気持ちが楽になった気がしています。


友人に話して以来、誰かに軽く話せることではなかったので、ずっと心の中に封印してきていました。


そして時々思い出しては、思い出すたびに、目が腫れるほど泣いていました。


なので、記事を通してどなたかに私の思いを聞いていただくことができて、少しだけですが気持ちが楽になった気がしています。


読んでくださった方、ほんとうにありがとうございます。






今日休みだったので、久しぶりでぼんやりNHKオンデマンドを視てみました。


「ひとりを生きる 野村克也84歳」という番組を視ました。


佐知代さんが亡くなってから3年あまりだそうで、


もちろんテレビに映っているから…ということもあるだろうし、


男だから…ということもあるかもしれなくて、


ちょっと見た感じ、そんなに悲しんでいるそぶりは見えませんでした。


でも、お歳を召していらっしゃるから余計なのか、


以前のような活気というか覇気が全く伺えない、まるで抜け殻のような感じに見えました。


「家に帰っても喋る人もいないよ。テレビだけが友達だもんなぁ」と言った言葉が印象的でした。





喪失感はそんなに簡単に終わるものではないらしいし、


私もきっと、3年経っても「テレビだけが友達」の、”寂しい抜け殻”になってるのかもな…と思ってしまいました。



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