いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

35回目の月命日

新しいパソコンで初の投稿です。


ゴールデンウィークに新しいパソコンに取り換えるアイデアは、


我ながら大正解でした、笑。


会社で普通にそんなに古くない(つまりレンタルの)パソコンを使っていますけど、


やっぱり慣れないパソコンを自分用にカスタマイズするのは骨が折れます。


それに、ファイルの移し替えとか、


メールは受信トレイに13年間分のメールが5万件も入って来ちゃって、


ほんとにえらいことになっています。苦笑。





さて今日は、旦那さんの月命日、2年と11ヶ月が経ちました。


思い出せば、苦しいです。


いくら時間が経ってきたからと言って、


あの時を思い出せば、各々のシーンはまるでつい昨日のことのよう。


倒れる前の日に旦那さんと一緒に洗濯物を干したっけな、とか、


整形外科のドクターはなぜ、背中が痛いと言っているのに梗塞を疑わなかったのか、とか。


( いえいえ、背中じゃなくて、腰が痛いと言ったのです。


よっぽど痛かったんでしょうねぇ、


「腰が痛い、腰が痛い」とたくさんいろんなシップを買ってきて、


私に「ここに貼れ」と示したとき、


私もその場所を「腰の上部」としか思いませんでした。


でももしあの時、あの人が「痛いのは背中」とさえ言ってくれたなら、


あるいは私が、「腰じゃなくて背中じゃないの?」と気づくことができたなら、


もしかすると、あの人は死なずにすんだのか。)





人間が家族で一緒に住むようになったのっていつからなのか知らないけど、


(ネットでちょっと調べてすぐ諦めました。)


多分そのころから、家族を失う悲しみというのはあったわけで、


有史以前からずっとずっと、その悲しみは共有されてきたはずです。



そして、思うけど、


基本的に、この悲しみは癒えません。


たぶんきっと、これからも。


私が彼を恋い慕ううちは、その間はずっと消えないんだと思います。




伴侶を失った時の年齢や、その人の性格にもよるのでしょうけど、


私の場合はきっと、死ぬまでだなぁ。


悲しさや寂しさの度合いをグラフにしたら、


1年前とそんなに変わっていない気がします。


今はもう、彼が居なくなってしまったことを100パーセント受け入れているから、


恋い慕うものを失った衝撃みたいなものがない代わりに、


海の底に、深く深く沈んでしまって諦めきれない宝石箱みたいな、


沈殿して積もってしまった…とでもいうのかしら、


癒されない、消えることのない喪失感です。

×

非ログインユーザーとして返信する