いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

わたしを大事に

もちろん迷う自分がいます。


もっと悲しみ、もっと寂しさを感じることが望まれた姿であると。


そして、それがすなわち逝った人の供養になるのだろうと。




だけど、果たしてそうなのかなぁ。


毎日毎日、人目を忍んでぐずぐず泣いている私を見て、


旦那さんは本当に嬉しいだろうか。


ずっと私に泣いていてほしいと思うのだろうか。





セシールで、あまり考えなしに洋服をいくつか買い、


さぁ買った洋服をどこへしまおうか…ということがきっかけとなって、


ここ何日か、いろんなことをいろいろ、いろいろ考えました。




自分の洋服…もうあまり着ない洋服をサヨナラして、新しく買ったのをそこへしまおうか。


それとも、旦那さんの洋服を押し入れにしまって、空いたスペースにしまおうか。


だけど、旦那さんが作業着を着ることはもう100%ないのに、それを取っておいて、自分の洋服を捨てるの?


旦那さんの洋服をサヨナラするのが嫌で、でも、だからそれを押し入れにしまい込むのってちょっと違うような気がしない?


第一、そこにあること自体が辛いのに、旦那さんがもう絶対に着ることのない洋服をずっとずっと大事に持ち続けるの?


旦那さんはもうもう絶対に、作業着を着ることはできないんだよ?






また、だいぶ気持ちが固まってきてから、サヨナラをするものやその量についても考えました。


最初は、パンドラの箱状態が辛くて、タンス一棹のうち旦那さんが使っていた3つの引き出しを、できたらすべて整理しようとしていました。


だけど、ちょっと気が重い…というのも、


旦那さんのシャツやパンツや靴下や、日常いつも肌に着けていたものをすべて無くすのは、
矛盾しているようですが、かなり負担な気がします。


そして、せっかく頑張って整理をしたって、空っぽの引き出しを見たら余計に辛くなりそうで、


だから、今回はひとつの引き出しだけ、作業着だけをサヨナラすることに決めました。


あとの引き出しに入っているものはまだまだ見ないふりをして、


私が買った洋服を入れるスペース分だけ、旦那さんからお借りすることにしたのです。






決心をするにあたり、ひとつ心に決めたことがあります。


タンスを整理したら旦那さんが悲しむ…とか、


作業着廃棄したら旦那さんが寂しがる…とかを考えるのはよそう、ということです。


今こんな時だから余計に、


私は、私自身のことを第一に、大事に考えてよいのだと思います。


私がどう感じているか。


ダンスを整理して新しい洋服を入れるのは、私にとって嬉しいこと。


それが、大事。


だけど、旦那さんのシャツやパンツや靴下まで急に無くなってしまったら、私のショックは大きいし悲しいから、今回は作業着だけサヨナラしよう。


私がどう感じているか、どう生きようとしているか、それを大事にすることが、今は必要だと感じています。






明日の寒さに備えて、今日は部屋の雨戸を全部閉めました。


昨年は旦那さんが開け閉めをしていた雨戸です。


昨年は「昼が暗いのは嫌だけど、でも温かいほうがいいよね」と2人で相談し、合意し、冬中、ひとつの窓を除いて、雨戸を全部閉めていました。


今は私だけがこの世に生き、これからも生活をし続けなければなりません。


だから前を向きたい。


自分の気持ちを大事に、目を背けることなく。


そうしたらなんとか前に一歩、踏み出せそうな気がしています。

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