記憶
可愛い小さなお皿、たった一枚だけ、気に入って買ったものです。
もう何年も前に、旦那さんと隣の県に芝桜の花畑を見に行った時、
地元で盛んな焼き物の出店が出ていて、ちょっと素敵だったから一枚だけ買ったのです。
このお皿におかずを盛り付けて、旦那さんに何度も食べてもらったなぁ、なんて思います。
いつも簡単に、ほうれん草の胡麻和えとか、トマトを切って乗せてみたり、
私はそんなにお料理上手なほうではないので、大概そんなものでしたが、
でも、いつも旦那さんは「おいしいなぁ、おいしいなぁ」と食べてくれました。
お皿を買った芝桜の花畑は、ここらへんでは少し有名な観光地だから、
旦那さんと一緒に何度か行きました。
だから、よく覚えています。
花畑も、お皿を買った出店も、よく覚えています。
花畑の写真を撮ったり、食器も2人で選びました。
ほんとうについ昨日の事のようで、
何故ここに旦那さんが居ないのか、不思議なくらいです。
家では今、隣の部屋で、オリンピックの放送がテレビで流れてるけど、
スポーツが大好きだった旦那さんが、テレビを見ていないのが不思議な感じです。
だって、ついこの間まで、あの椅子に座ってたのに。
野球とか、相撲とか、スポーツなら何でも好きで、
あの椅子に座って、よくテレビ見てたのに。
,
最近よく、何かの拍子に、
「あぁ、旦那さんが死んじゃってもう1年経っちゃったんだっけな」と思います。
なんか、まだそんなに時間が経っていないような気がするのです。
私がこの家で独りの生活を始めたのって、ついこの間のような気がするのです。
これもまた少し不思議な感じで、
旦那さんが倒れた日や、お通夜やお葬式が、ほんとについこの間っだったような気がしたり、
だけど、すごく昔だっったような気がするときもあるし、
あの時の経験だけ、すごく詳細に鮮明に覚えていて、超リアルというか、
リアルすぎて時間を越えちゃった感じです。
倒れた日やお通夜、お葬式の時のことは、これからもずっとずっと、
つい昨日のことのように思い出すのだろうな。
その度に、辛いし悲しくなるけど、
それが死者を弔うという事なのでしょうね。