いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

生き返り (生き帰り)

私自身がこの世から居なくなることが、


子供の頃から信じられませんでした。





だって今、生きてるのに?


今こうして私は存在していて、だれかに影響し働きかけているのに?


その私が居なくなっちゃうの??


例え100歩譲って私が死んだら肉体は消滅するとしても、


今考えている私の思考はどこに行くの?





そう考え始めると、


私の肉体も思考も、存在すべてが無になってしまう…ということは、


幼い私にはとても信じられず、思いが及ばないことでした。


そしておかしなことかもしれませんが、


基本的にその思いは、つい最近まで変わっていませんでした。





だけど4か月前に旦那さんが虹の橋を渡り、


彼がもう万に一つも戻ってくることはない…と、受け入れざるを得ない状況で、


「死」に対する概念を変えるしか、


どうやら、他に方法はないようです。





あぁ、


自分の力ではどうしようもない事なのだ…と受け入れることは、


ある意味、私を楽にしてくれるのかもしれません。


考えてみれば、


人の生き死にについて無力を認めない…ということは、


言葉を変えれば、神を超える仕業を行うという意味で、


究極の高慢なのだと思います。





でも、自分の無力を認めるということは、


彼が、私の今後の人生にもう、1度も登場しないことを100%認めること。


分かっているのです。


分かっているのです。


分かっているのです。




だけど、それを認めることは


今の私には何にも増して辛いことです。

×

非ログインユーザーとして返信する