生き返り (生き帰り)
私自身がこの世から居なくなることが、
子供の頃から信じられませんでした。
だって今、生きてるのに?
今こうして私は存在していて、だれかに影響し働きかけているのに?
その私が居なくなっちゃうの??
例え100歩譲って私が死んだら肉体は消滅するとしても、
今考えている私の思考はどこに行くの?
そう考え始めると、
私の肉体も思考も、存在すべてが無になってしまう…ということは、
幼い私にはとても信じられず、思いが及ばないことでした。
そしておかしなことかもしれませんが、
基本的にその思いは、つい最近まで変わっていませんでした。
だけど4か月前に旦那さんが虹の橋を渡り、
彼がもう万に一つも戻ってくることはない…と、受け入れざるを得ない状況で、
「死」に対する概念を変えるしか、
どうやら、他に方法はないようです。
あぁ、
自分の力ではどうしようもない事なのだ…と受け入れることは、
ある意味、私を楽にしてくれるのかもしれません。
考えてみれば、
人の生き死にについて無力を認めない…ということは、
言葉を変えれば、神を超える仕業を行うという意味で、
究極の高慢なのだと思います。
でも、自分の無力を認めるということは、
彼が、私の今後の人生にもう、1度も登場しないことを100%認めること。
分かっているのです。
分かっているのです。
分かっているのです。
だけど、それを認めることは
今の私には何にも増して辛いことです。