いつもとなりにいた人が…nekonezumiのブログ

2020年6月、いつもとなりにいた人が脳梗塞で虹の橋を渡りました。あっという間の出来事でした。

恐怖心

昨晩の地震は恐怖でした。


最初の地震では、グラグラグラ…と激しい横揺れがなかなかおさまらなくて、


怯えてしまって、動くことすらままならず、


椅子に座ったまま固まっていて、地震が静まるのを待つしかありませんでした。





2度目の地震はもっと強くて激しい揺れのように感じられて、


3.11を思い出し、


「あぁもしかしたら私、死ぬのかな」とちょっと思い、


でも反面、行動はすごく現実的でしっかりテレビを押さえてました。




こういう時ほど、一人暮らしを呪いたくなります。


自分のほかに、そばに誰かいたら。


そしてそれが、全幅の信頼がおける最愛の旦那さまだったなら。


昨日の晩の「怖い」という気持ちは、


きっと半分か1/3くらいで済んだことだったでしょう。





今日になって、昨夜の地震の映像を見ていると、


どうやら、怖いと無意識に声が出てしまうのは、私だけではないようです。


(少し安心しました。)


昨日の私、テレビを両手で押さえながら、


ちょっと半狂乱になってしまって、


すごい大声で旦那さんの名前を連呼して、


「助けてぇ! 助けてぇ! 怖いよ!」と叫び声をあげました。





あんな大声で叫んだら、きっと上と隣には聞こえたろうし、


上の人も隣の人も、


この部屋に住んでいるのは中年女が一人暮らし、と知ってるんだから、


考えようによっては結構、気恥ずかしいような気がします。





でも、声を上げないではいられない気持ちだったです。


細かい縦揺れと横揺れが混じったような、ガタガタガタとすごい振動で、


激しい揺れでもし家具が倒れてきたら?


もし津波がここを襲ったら?


足の悪い中年女が食器棚の下に挟まれてたって、


発見されるのは早くて明日の朝、明るくなってからでしょう?


寒くて真っ暗な中、


誰も助けてくれる人が居なかったとしたら。


異次元の恐怖の中、ひとりっきりで助けを待たなければならないとしたら。





昨晩は、いつもとは桁違いの孤独感と喪失感、心細さを感じました。


だけど、こういうことにも、おいおい慣れなきゃね。


なにかいつもとは違ったイベントが起きた時に、


それをひとりで受け止める力。


冷静に事実を受け止めて、判断する力。


ひとりで生きていくっていうのは、そういう力も身につけなければならないんだなぁ、と、


ちょっと考えてしまいました。

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