恐怖心
昨晩の地震は恐怖でした。
最初の地震では、グラグラグラ…と激しい横揺れがなかなかおさまらなくて、
怯えてしまって、動くことすらままならず、
椅子に座ったまま固まっていて、地震が静まるのを待つしかありませんでした。
2度目の地震はもっと強くて激しい揺れのように感じられて、
3.11を思い出し、
「あぁもしかしたら私、死ぬのかな」とちょっと思い、
でも反面、行動はすごく現実的でしっかりテレビを押さえてました。
こういう時ほど、一人暮らしを呪いたくなります。
自分のほかに、そばに誰かいたら。
そしてそれが、全幅の信頼がおける最愛の旦那さまだったなら。
昨日の晩の「怖い」という気持ちは、
きっと半分か1/3くらいで済んだことだったでしょう。
今日になって、昨夜の地震の映像を見ていると、
どうやら、怖いと無意識に声が出てしまうのは、私だけではないようです。
(少し安心しました。)
昨日の私、テレビを両手で押さえながら、
ちょっと半狂乱になってしまって、
すごい大声で旦那さんの名前を連呼して、
「助けてぇ! 助けてぇ! 怖いよ!」と叫び声をあげました。
あんな大声で叫んだら、きっと上と隣には聞こえたろうし、
上の人も隣の人も、
この部屋に住んでいるのは中年女が一人暮らし、と知ってるんだから、
考えようによっては結構、気恥ずかしいような気がします。
でも、声を上げないではいられない気持ちだったです。
細かい縦揺れと横揺れが混じったような、ガタガタガタとすごい振動で、
激しい揺れでもし家具が倒れてきたら?
もし津波がここを襲ったら?
足の悪い中年女が食器棚の下に挟まれてたって、
発見されるのは早くて明日の朝、明るくなってからでしょう?
寒くて真っ暗な中、
誰も助けてくれる人が居なかったとしたら。
異次元の恐怖の中、ひとりっきりで助けを待たなければならないとしたら。
昨晩は、いつもとは桁違いの孤独感と喪失感、心細さを感じました。
だけど、こういうことにも、おいおい慣れなきゃね。
なにかいつもとは違ったイベントが起きた時に、
それをひとりで受け止める力。
冷静に事実を受け止めて、判断する力。
ひとりで生きていくっていうのは、そういう力も身につけなければならないんだなぁ、と、
ちょっと考えてしまいました。